北コーカサスの全共和国という秘境を旅して。そして北コーカサス料理の総括。

゚・*美味しさは、香りで作る。*・゚【スパイス大使2018】

スパイス大使記事

今年、北コーカサスを旅しました。

北コーカサスといえば日本人には紛争のニュースからチェチェンや北オセチアがおそらく知られるところです。でもそれ以外にも、北コーカサスは今もあちこちに紛争の火種を抱えています。

料理の点でいえば、例えば南コーカサスのジョージア(グルジア)や黒海南岸のトルコが香辛料を多く使う地域であるように、北コーカサスも香辛料の美食地域と言われています。しかし北コーカサスは、紛争が繰り返されてきた地域ですから旅行者が特に少なく、旅行情報すらろくにないのに、料理情報となると極めて乏しい。しかしそこには長く人が住んでおり、コーカサスの文化がある。だから、行けば必ず料理の発見が相次ぐ地域だと思い、旅することを楽しみにしてきました。

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「北コーカサス」の理解のために、ロシアの地図を以下に示します。

↓これがロシアのおおまかな地図です。

ロシア

ロシアは連邦制国家であり、このように85の行政区域に分かれています(※)。

ロシア

※クリミアとセヴァストポリを含めてカウントした数字

85のうち「共和国」をなす区域は22あります。ロシアの内部の共和国なので、英語ではインナーリパブリックと呼ばれることもあり、私はインナー共和国と呼んだりもします。

↓これが、22のインナー共和国です。

ロシア

なぜ国の中に国があるのかというと、それは、ロシア人ではない民族が築いてきた土地だからです。チェチェン共和国はコーカサス系のチェチェン人の国、といった具合です。ロシアのインナー共和国ではチェチェンが一番有名だと思うので、上の地図からチェチェンを探してみてください。チェチェンは左下にあります。そしてチェチェンのあたりはインナー共和国がたくさん連なっていますよね。民族的にも複雑であることが一目で分かります。それらの南(この地図では左下)の国境線はコーカサス山脈ですから、山脈の北に連なるという意味で「北コーカサス」(別名北カフカス)と呼ばれます。

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今回の旅の行程です。日本からモスクワ経由で、INとOUTを分けることで北コーカサスを横断します。

ロシア

拡大して、行政区域単位の行程を示します。

ロシア

(日本→モスクワ乗り換え→)クリミア共和国→セヴァストポリ特別市→クリミア共和国→クラスノダール地方→アディゲ共和国カラチャイ・チェルケス共和国→スタヴロポリ地方→カバルダ・バルカル共和国北オセチア・アラニヤ共和国イングーシ共和国チェチェン共和国ダゲスタン共和国→カルムイク共和国→ヴォルゴグラード州(→モスクワ乗り換え→日本)。

こうして今回の旅は北コーカサスのインナー共和国群を全制覇しています。更に、2014年以降クリミア紛争が起こっているクリミア共和国と、ヨーロッパ唯一の仏教国カルムイク共和国を含めたルートです(※)。

※なお、クリミア、セヴァストポリ、カルムイク、ヴォルゴグラードは北コーカサスには含まれません。

都市を示した行程です。

ロシア

(自宅→成田→モスクワ→)シンフェロポリ→バフチサライ→セヴァストポリ→シンフェロポリ→ヤルタ→シンフェロポリ→ケルチ→アナパ→クラスノダール→マイコープ→チェルケスク→キスロヴォツク→ピャチゴルスク→ナリチク→ウラジカフカス→ダルガフス(周遊ツアー)→ウラジカフカス→ナズラン→マガス→ナズラン→グロズヌイ→マハチカラ→デルベント→エリスタ→ボルゴグラード(→モスクワ→成田→自宅)。

知っている地名があまりなく、如何に北コーカサスが日本人にとって見知らぬ存在であるかを実感します。

それでは、北コーカサスの料理の旅の視点から総括してみます。

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1)クリミア共和国

成田→モスクワ。乗り換える先はクリミア共和国のシンフェロポリへ。

北コーカサス料理

・・・モスクワから「国内線」に乗った事実。この驚き、分かりますか? クリミアは実質ロシアになってしまった。かつて2国間の取引でウクライナの領土となったことを理由に今もウクライナ政府はクリミアの領有を主張しているが、住民はほとんどロシア人であり、住民投票でもロシアへの編入希望が圧倒的多数だった。

でも、クリミアに行くと、ウクライナ政府やロシア政府やらの争乱から離れて、もっと思い出させてくれることがある。クリミア半島には、追放されるまでは、クリミアタタール人が住んでいた。ここはタタールの地だった。

タタール料理店に行った。チェブレク(具入り薄揚げパン)やプロフ(炊き込みご飯)のようなユーラシア広域の料理もあるが、ヤントゥイク(揚げない具入りお焼き)やタタールアシュ(水餃子)のような、他で見たことがない料理がある。

北コーカサス料理

これはユファクアシュ(ミクロな水餃子スープ)。

北コーカサス料理

ロシア語サイトでは「顕微鏡的なラビオリ」と紹介されているミクロな水餃子スープ。スプーンに水餃子が8つ乗るだなんて、1つがどれだけ小さいのよって、作る手間暇を慮る。

クリミアタタールの料理は、料理の内容も料理名も、トルコ -それは中央アジアを含め- の一端のような気がした。またクリミア半島の料理は、料理にバジリク(紫バジル)やキンザ(パクチー)やペトルシュカ(イタリアンパセリのよう)などのハーブをたっぷり添える傾向を感じた。唐辛子も使い、なかなか風味がよい。

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2)クラスノダール地方
クリミアから「ロシアが作った橋」(←ここに政治的脅威を感じてください)を渡ればウクライナを経ずにロシアへ渡れる(←ここが政治的脅威です)。この緊張する橋を渡ってアナパに移動した。黒海東岸のビーチリゾートだ。ロシア人で溢れている。でもそこは、かつてアディゲの漁港だった。

旅はこのあたりから、「アディゲ」について知らないわけにはいかなくなる。・・・なのにアナパでは「アルメニアン」というもっと大きな衝撃に次々と出会う。

ハチャプリジェンギャローハーツ、ちょっと待ってよ、アルメニア料理と思っている料理の多さにハッとする。

北コーカサス料理

軽食商売をしている人に、ロシア語で「あなたの民族は何ですか」と尋ねると、「アルメンスキー」(Армянский)と言う人が多い。・・・この先も北コーカサス地域ではアルメニア人を多数見た。アルメニア人の離散(ディアスポラ)の歴史か。南コーカサスからの離散先のひとつが北コーカサスだったのか。確かにソ連の時代は移住しやすかったはずだから・・・。そんなことを考えながら食べるジェンギャローハーツ(ハーブパン)は複雑かつ美味しくて涙が出そうだった。

なお、クリミア半島から北コーカサスに入り、料理に香辛料が増したように思う。ロシア人は香辛料をあまり使わないが、コーカサス人は香辛料をよく使うのだろう。ハチャプリを食べる食卓にも赤唐辛子粉が乗っている。名前を聞いたところ、ピエレツゴーリキーと言っていた。ピエレツはこしょうや唐辛子やピーマンのこと。ゴーリキーロシアの昔の作家の名前だ。

3)アディゲ共和国

旅はアディゲ共和国のマイコープへ。とうとう北コーカサスの共和国群へ突入した。クリミアやアナパで見たリゾートな街並みは消え、ムスリム(イスラム教徒)が目立つようになってきた。下の写真のお姉さんはアディゲ人だ。宿のお姉さんもアディゲ人だった。

北コーカサス料理

マイコープには、中央アジアやアフリカやアフガニスタンなどからの留学生ムスリム(※)がとても多い。ムスリムは食事や生活において宗教上の制約があり、欧米や日本に留学することは困難だ。しかしここはロシア内でイスラム教徒が集まるアディゲ共和国のような場所は、G7クラスの先進国の進んだ教育を受けながらもムスリムが生活しやすい、絶好の留学先だという。確かにG7の中のイスラム自治国なんて、そんないい場所、北コーカサス以外ちょっと思い浮かばないよね。

今はラマダン(※)であり、日の出から日没まで水すら飲めない。モスク(※)の前ではイマーム(※)が信者のための日没後の食事を作っていた。今日はプロフだ。イマームはウズベキスタン人だ。ロシアはソ連時代に宗教の信仰ができなかったため今も地元の高位聖職者が足りず、各地に中央アジア(特にウズベキスタン)からイマームが派遣されているのだが、ここもそうなのだろう。

※ムスリム:イスラム教徒、ラマダン:イスラム教に基づく断食月、モスク:イスラム教寺院、イマーム:イスラムの高位聖職者。

北コーカサス料理

中央アジアの人々がこのように移住してくるため、ロシア全土において、もはやプロフは国民食の位置づけなのである。

また、宿のフロントのお姉さん(アディゲ人)には、「アディゲ料理を幾つか書いてください」と頼んで料理リストを作ってもらった。ハルージュシップスママリガソウスアディゲスキーコヤジュ。そしてそれを食べられるレストランで食事をした。

ママリガは有名なルーマニア料理と同じね・・・と軽く思っていたら、この旅一番と言えるコーカサス料理での大衝撃を受けることになる。

北コーカサス料理

メニュー3つめは、「Macmэ」や「Ⅲacmэ」と書いてあるように見える(1文字めはШが逆になったような文字)。ロシア語筆記体の「Ⅲのような字」はブロック文字の「Т」で、「m」はブロック文字の「т」だと思っていたので、私が「マスタ」?「タスタ?」と読み上げたら、店員に「パスタ」と言われる。どうして? どうやったらこの文字がパスタと読めるの? 実態はママリガすなわち、メニュー写真にも写っているトウモロコシ粉の練り固め料理なのに・・・。

なお、ソウスは、香辛料パウダーを混ぜたヨーグルトディップだ。美味しかった。

北コーカサス料理

アディゲ共和国では、モスクの食事でもソウスがついていたし、次のカラチャイ・チェルケス共和国でも似たソウスに出会う。北コーカサス料理は、レストランメニューでもその土地のソウスが載る。北コーカサス料理のひとつの特徴はソウスにある。アディゲのソウスはアディゲ語でアパシップスと言うのだと、ムスリム女性に教わった。

なお、アディゲ共和国に入って、市場の香辛料の量並びに種類の多さに驚いた。完全に、香辛料文化圏に入った。市場のおばさんが手作りの自慢のアジカを私にプレゼントしてくれた。料理上手のムスリム女性は、モスクの日没後の食事会に手作りのアジカを持ってきて、私に食べさせてくれた。北コーカサスの料理、少なくとも北コーカサス西部の料理は、香辛料をよく使うことが特徴に挙げられる。

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4)カラチャイ・チェルケス共和国

マイコープからバスに乗り、カラチャイ・チェルケス共和国の首都のチェルケスクに到着した。途中、コーカサス山塊の大自然豊かな雄大な風景に包まれ、今いる土地柄がコーカサス山塊であることを再確認することできる素敵な道だった。ここにはアディゲ共和国から移動してきたわけだが、ここにきて、「アディゲ」が滅茶苦茶にこんがらかってしょうがない。だって、ねえ、次、どうやって辻褄を合わせる?

  1. アディゲ人はチェルケス人である。
  2. アディゲ人には12の氏族がある(アブザク人、ベスレネイ人、ブジェドゥグ人、ハトゥクワイ人、マムヘグ人、ナトゥカジュ人、カバルド人、シャプスグ人、チェミルゴイ人、ウビフ人、イエゲルクワイ人、ジャネイ人)。
  3. 次に向かうカバルダ・バルカル共和国は、トルコ系のバルカル人と共に、アディゲの一氏族のカバルド人が多く居住する。
  4. ここカラチャイ・チェルケス共和国は、トルコ系のカラチャイ人と共に・・・ちょっと待ってよチェルケス人は12の氏族の総称じゃないか。ここカラチャイ・チェルケスに住むコーカサス系民族は、アディゲの一氏族のベスレネイ人が多く居住するがその名称は国名に反映されていない。
  5. アディゲ共和国に多く住むアディゲの氏族は、ブジェドゥグ人とチェミルゴイ人である。
  6. ソ連時代ロシアによって「アディゲ人の分断」がなされた。「アディゲ共和国に住むアディゲ人をアディゲ人と呼び、アディゲ共和国以外のアディゲ人をアディゲ人とは呼ばない」ようになってしまった。
  7. ソ連時代ロシアによって「チェルケス人の誤認」がなされた。「チェルケス人は広義のアディゲ人でありアディゲの12氏族の総称であるが、カラチャイ・チェルケス共和国のアディゲ人をチェルケス人と呼び、カラチャイ・チェルケス共和国以外のチェルケス人はチェルケス人とは呼ばない」ようになってしまった。

ああ、もう、訳が分からなすぎて、涙が出る。こんなおかしい政策の被害者は北コーカサスの住民です。そして、民族団結をぶち壊すのがソ連ロシアスターリンの狙い。その狙いがここまで成功していて、その凄さに呆然とする。。。

夕食は、バーレストランへ行った。バーと標示しているのにお酒を置いていないのはここの土地柄か。そういえば朝から夕方までかかるバス移動も昼食休憩がなかったっけ、今はラマダンなので。私が店員に「チェルケス料理を選んでください」と伝え、お店が選んでくれたのは、ミャスナエデリカテッサ、つまり加工肉の盛り合わせだった。

北コーカサス料理

加工肉は北コーカサスの風土に合った伝統料理なのだろう。左から順に、牛肉、鶏肉、牛肉、牛肉の取り合わせだった。普通サラミの類だったら豚肉を使うところでしょう。なのに豚肉がない。酒もないから飲んでいるのは地元名物のリンゴ炭酸ジュースです。何で折角バーの看板の店に入ったのにリンゴジュース~?って思っちゃいますよね。でも、これらのことからここカラチャイ・チェルケス共和国はアディゲ共和国以上にイスラムの習慣が強いように感じた。

ここでもソウスに出会った。アディゲのアパシップスによく似ており、ここではトゥズルクと呼ばれていた。トゥズルクはカラチャイ・チェルケス共和国において何ヶ所かで味わうことができた。

カラチャイ・チェルケス共和国に入ると、フチン(薄いパン生地2枚に具を入れて焼くもの)がとにかく目立つ。

北コーカサス料理

レストランのメニュー。ナショナルブリューダとは国民食の意味だが、ここではもちろんロシア人料理という意味ではなく、カラチャイ・チェルケス共和国料理という意味だ。

北コーカサス料理

スショネミャサ(乾燥肉)やクイマー(ソーセージ)は昨日の肉盛り合わせに入っていたものだ。昨日の夕食の肉盛り合わせは期待通りここの国民食だったのだ。

旅計画段階において、ラマダン明けという、日本人の正月に相当する一年で最もおめでたい日を、このカラチャイ・チェルケス共和国に合わせた。イスラムの佳き日はイスラムの共和国に合わせないと面白くないもんね。そして狙い通り、ラマダン終了のお祝いの食事に同席することができた。

北コーカサス料理

クルガンエト(羊肉煮込み)、トゥズルク(アイランにんにくソース)、ガルドシュ(揚げじゃがディルまぶし)などカラチャイ・チェルケス共和国の郷土料理を見て食べることができた。作り方も聞いた。早く日本で作りたいな。

5)スタヴロポリ地方
次はロシアで名だたる温泉保養地キスロヴォツクに滞在した。もともとアディゲ/チェルケスの土地だったがロシア人が奪取したもので、食べるものも、ロシアのどこにでもあるロシア料理だった。ときどき商店にはアルメニア人がおり、彼らのパンや総菜を売っていたりする。そもそも北コーカサスはイスラム教を信仰する人が多いので、キリスト教徒のアルメニア人にとってはロシア人の街に来るほうが生活しやすいのかもしれない。

6)カバルダ・バルカル共和国
北コーカサスの共和国3つめは、カバルダ・バルカル共和国です。ここでもう一度アディゲ人について書いておくと、「北コーカサス西部一帯はチェルケシアと呼ばれ、その住民であるアディゲ人はイコールチェルケス人であり、12の氏族に分かれ、そのうちの1つにカバルド人がある。よってカバルド人はアディゲ人ないしチェルケス人だが、ソ連のロシア政策はアディゲ共和国のアディゲ人をアディゲ人としてしまいアディゲ共和国以外のアディゲ人はアディゲ人と呼ばないようにしたため、カバルダ・バルカル共和国のアディゲ人はカバルド人と呼ばれる。」・・・知らないと難解でも、これが読めるようになると北コーカサスが理解しやすくなるはず。

土産物屋で見た18~19世紀のチェルケシアを示す地図。多分、今回の北コーカサスの旅の、知らなければならない最重要点がこの地図なんだ。北コーカサスを知るためには、これを知らなくちゃいけないんだ。

北コーカサス料理

次に訪問する予定の北オセチア共和国のウラジカフカスあたりからクリミアの次に訪れたアナパあたりまでのほぼすべてがチェルケスの地だ。ここで言うチェルケスとはカラチャイ・チェルケス共和国ではない。チェルケスは、北コーカサス西部のこの広大な地域を指す。

兵士が、12の氏族を12の星に見立てた旗を持っていた。

北コーカサス料理

これはカバルダ・バルカル共和国の国旗ではない。これが、今は存在しないチェルケスの国旗だ(※)。元来の(広域の)チェルケスの地に住むチェルケス人(=アディゲ人)は現在70万人で、うち50万人がここカバルダ・バルカル共和国に住んでおり、人々と話しをした印象では圧倒的にここの人々がチェルケス人としての意識を強く持っているように感じた。この旗からもだ。

※この国旗はアディゲ共和国の国旗として現在受け継がれている。

料理の点では、アディゲ共和国のマイコープで、「私が「Macmэ」か「Ⅲacmэ」のような文字を「マスタ」や「タスタ」と読んだ後に「パスタ」と言い直された料理」と同じとうもろこし練り固めがここにもある。ここでもパスタと言っていた。

北コーカサス料理

文字と音のつながりがまだ分からないが、ひょっとしてスパゲティーなどのパスタの原点はこの練り物なのかな?

レストランでは、コーカサス料理と言って出してくれたヒンカリ(でか水餃子)と、広くアジア料理と言って出してくれたマントゥイ(でかシュウマイ)を比較できるよう1枚の写真に収めてみた。

北コーカサス料理

「この時点では」ヒンカリは生地に肉を包む料理である。日本人に知られるジョージアのヒンカリそのものだ(しかしコーカサス東部でこの思想が覆されることになる)。このヒンカリには香辛料も入っていて、さすがコーカサスの美食、美味しいなあ。そしてほら、料理にはソウスもつく。北コーカサスはソウス文化だなあと改めて思う。

1つ前のカラチャイ・チェルケス共和国でも食べたスショネミャサ(乾燥肉)も北コーカサスの文化なのだろう。市場の食堂で食べたルガゴワ(肉のクリームがけ)も、乾燥肉で作っていたので、旨い。

北コーカサス料理

スショネミャサは明らかにロシア語だ。カバルダ語ではルガゴワ・・・いや違う、そんな発音じゃない、でも話者の発音がカタカナにできない!?!?・・・綴りは「лыгъэгъуа」、読みは「ルカ°コ°ワ」、「カ°」と「コ°」はめっちゃ鼻にかかる声で。・・・やばい、この独特の言語、すっごい面白そう!! 文字も、ロシアが100年前に廃止した「ъ」が多用されているし、わくわく気分が止まらない!!

なお、写真右上の円盤パンはフチンです。カラチャイ・チェルケス共和国同様、ここカバルダ・バルカル共和国でもあちこちでフチンを見かける。その他、リャグールカルプ、それからサライミャソム(焼いただけの肉)などをカバルダ・バルカル共和国でいただいた。この町はムスリムが多いと思った。

なお、この後ミニバスで首都ウラジカフカスへ進むが、隣席の弁護士のお姉さんが英語もペラペラで、これまでの料理名などで不明だったことを質問することができた。彼女自身はアディゲ人だそうだ。ナリチク在住だからカバルド人だと思われた。そして彼女への聞き取りから、上述の、「「Macmэ」か「Ⅲacmэ」のような文字を「マスタ」や「タスタ」と読んだ後に「パスタ」と言い直された料理」について、衝撃の事実が分かった。

コーカサス諸語は欧米の言葉よりも子音が多い。昔アラビア文字で書かれていた時代の「ف」と「ڢ」がそれぞれ「 П 」と「 Пӏ 」であり、音価はそれぞれ「p」と「ph」である。やっとわかった。「Macmэ」や「Ⅲacmэ」のように書いてある(正しくは1文字めはШが逆になったような文字)料理名は、「Пӏ acmэ」だ。そんな文字を見たことないけれど、だから「パスタ」だったのだ。ただしPastaではなく、Phasta。やっとわかった。意味不明な文字がひとつ解決にたどり着いたことに、背筋が寒くなるくらいゾクゾク、わくわくした。北コーカサスでは、アディゲ共和国からチェチェン共和国に至るまで、「 ӏ 」(縦1本の文字)の不思議と謎に多数遭遇することになる。言語の音が少ない日本人にとっては、不思議な国の世界そのものである。

7)北オセチア・アラニア共和国

文化的にも人種的にも、北コーカサスの中で突出して異色なのが北オセチア・アラニア共和国だ。日本人には紛争の報道で知られるところであるが、民族的理解はあまり周知されていないだろう。まず住民が、北コーカサスに広く住むコーカサス系民族やトルコ系民族と違ってイラン系民族であり、オセット語(オセチア語)もイラン系言語である。周辺はムスリムが多いのにここは圧倒的クリスチャン。オセット人は南北で分断され、今いる北オセチアがロシア国内の、南オセチアがジョージア内の共和国となっている。

ここに来て、とにかく目立つのはピログだ。

北コーカサス料理

ピログはロシア語だ。オセット語ではチリタと言うのだと死者の谷ツアーの運転手に教えてもらった。更に肉が入ったピログチリタ)は特にフィチンと呼ばれる。そう、カラチャイ・チェルケス共和国やカバルダ・バルカル共和国でとにかく目立ったフチンフィチンは名も同じとみなせる。同じ基礎をもつ料理なのだ。

それから例のソウス文化だが、ここにはツァフトンと呼ばれるソウスがある。写真はレストランのメニューで「北オセチア料理」を選んでもらって注文したのは、ルイブジャという、ツァフトンで肉を煮込んだものを入れた壺焼き料理だった。美味しかった。

北コーカサス料理

オセチア料理を知りたいと思ってレストラン店員などに聞き取りをすると、北オセチア料理の特徴として、私がこれまでジョージア(グルジア)料理だと思っていた料理の名前がどんどん挙がってくる。ジョージアは南オセチアを領有しており、その南オセチアと北オセチアは同じ文化。だから、ジョージアと北オセチアも同じ/近い文化なのだと思った。可能性のひとつとして、オセチアのほうが伝統料理の形成が先で、その料理をジョージア本体が吸収していった可能性もあるかと思う。いつかそんな検証もしてみたいと、心からわくわくする。

もう一つの北オセチア料理の特徴として、ワインの量り売りや、自家製ワインを売る人が目立つ。バーに行っても酒が飲めないカラチャイ・チェルケス共和国とは大違い。ここはクリスチャンの国だからね。また、通常、市場の食料品店でろうそくなど売られないのに、ここでは市場のはちみつ屋で教会礼拝用のろうそくを売っていた。クリスチャンの国なのだ。そっか、医薬品製剤原料の「ミツロウ」って「蜜ろう」だったのか。はちの巣とはちみつとろうそくとミツロウとが(頭では分かっていたけど)初めてつながった。

なお、旅を終えた後に振り返ると、北コーカサスの文化は、異色の北オセチア・アラニア共和国を境とし、西と東に大別できるように思った。それは、西のチェルケス文化と、東のバイナフ文化である。ここが北コーカサス料理の重要点の1つでもあろう。

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8)イングーシ共和国

ここイングーシ共和国と、次に訪問するチェチェン共和国は、それぞれイングーシ人とチェチェン人の国である。だからこそ、イングーシとチェチェンを理解するためには、「バイナフ」を知る必要がある。もともとイングーシ人とチェチェン人は同民族であり、同じ言葉を話している(方言程度の違いは今もある)。「私たちの人々」を意味する「バイナフ」が、同じ民族なのに1800年代にロシアが攻めてきた折に支配された部分と抵抗した部分で分けられた。前者(親ロシア)がイングーシで、後者(反ロシア)がチェチェンだ。ソ連時代には両者が合併してひとつの国になっていたが、うまくやっていけなくて結局今は分離している。食文化や料理の点で言えば、もともと同じ民族がほぼ同じ言葉を話しており伝統料理も同じくして当然だ。だから店には「イングーシ料理」ではなく、こうやって「バイナフ料理」の看板が掲げられている(複数個所で確認)。

北コーカサス料理

でも最初私は「バイナフがイングーシとチェチェンである」ことを知らなかった(あとから分かってよかった、いい勉強になった)。ともあれこの店に入り、メニューをもらい、幸い客に英語を話せるOLがいたので、「イングーシ料理を3つ4つ選んでほしい」と頼んで選んでもらった。もし英語を話す人がいなくても、このくらいのことはいつもロシア語でやりとりできるが、やはり英語が通じるほうが追加質問もでき料理説明も理解ができるのでありがたい。

さあ、選んでもらった筆頭料理は、うわ、衝撃の料理。うわ、強烈。ドゥハハウティン。別の人の発音ではドゥーホートン

北コーカサス料理

肉がドン。ゆで麺がドン。別皿で生にんにく入りの汁(これが旨い)がドン。コーカサスの肉食系って感じがする。チェチェン語のジジグハウティンの名前でも通じるが、イングーシ語ではドゥハのほうがよいらしい。また、これまでに何度も「北コーカサスはソウス文化だ」と書いたが、この生にんにくたっぷり汁を、ここイングーシ語ではベラムと呼ぶ(ロシア語でソウスだそうだ)。

イングーシ共和国の旧首都で最大都市のナズランでは、ムスリム度の高さと途上国っぷりにタイムスリップした気すらした。イングーシもチェチェンも、ムスリム度が高い。

市場の小さな食堂。ここでもドゥーホートンはメインのトップ料理だ。

北コーカサス料理

そして衝撃の発見、メニューの料理名の中に「1」の文字がある!!「Ч1aьпилг」!!・・・なんだこれは!? アディゲ共和国のパスタ「Пӏ acmэ」と似ているが同じではない。なぜなら「 П 」と「 Пӏ 」の違いに似ているが、今度は、「 Ч 」と「 Ч1 」の違いだ。チャッピルグと読むらしい。あと、クリミアから長く見続けているチェブレキはここにもある。

イングーシ共和国では、最大都市で旧首都のナズランだけでなく、人口の少ない新首都マガスも観光した。そこで食べた、そのチャッピルグ

北コーカサス料理

ここに来て、やっと気づいた。やっと分かった。同じ料理なんだ。北コーカサス西部すなわちチェルケス地域のフチンも、オセチアンピログ(オセット語ではフィチン)も、北コーカサス東部すなわちバイナフ地域のチャッピルグも、同じ料理なんだ。だってこのチャッピルグ、チーズ入りを注文したのだけど、まさしく「薄々オセチアンピログ」なんだもん。なおこの次の次に訪れるダゲスタン共和国では、この料理はチュドゥと呼ばれることになる。だからこそこの料理は、北コーカサス全域に共通する料理と言えるかもしれない。

もうひとつイングーシ料理で印象が強いものがある。写真中央の料理だ。料理名を耳にして驚いた・・・、その名もヒンカルまたはヒンカリ・・・。

北コーカサス料理

ヒンカリといえば、ジョージア(グルジア)料理で有名な巨大水餃子を連想するし、先ほどのカバルダ・バルカル共和国で食べた写真左側がジョージアと同じタイプのヒンカリだが、イングーシのヒンカリは全然違う!!! 小麦粉の発酵生地に具(今回はチーズ)を包んでフライパン焼きにしたもの、すなわち、ピロシキとまるきり同じ料理なのだ。この時点で、「ヒンカリは単に水餃子ではないのではないか、もっと広く、炭水化物系主食と簡単なおかずが一体化した料理を指すのではないか」と私は仮説を立てるようになった。

なお、今回の旅で一番強烈なのが、イングーシ共和国と、その次に訪れるチェチェン共和国だった。ロシア国内なのにロシアと全然違う。イングーシは途上国すぎてロシア人が逃げ出し、ロシアに壊滅させられたチェチェンは反ロシア感情が強いためかロシア人観光客すら見ない。今までロシアのどんな街でもロシア人が多かったのに、ロシア人のいないロシアの街なんて見たこともなかったから、本当にここはロシア? この2つの国は、だからこそ強烈で、予測できなくて、素晴らしくて、「旅心」を満たしてくれた。料理の話をすると、イングーシに入って、そして次のチェチェンでも、肉をドンと出す一方で料理から一気に香辛料/スパイスが減った点が興味深い。これが、香辛料に満ち溢れたチェルケスの文化との大きな違いだ。なお、ここがイスラム教国家であることも料理のエキゾチックさの大きな要因となっているだろう。

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9)チェチェン共和国

チェチェン共和国での最初の食事から、キター! 肉ドーン、麺ドーン、生にんにくたっぷり汁がドーン。料理名はジジグガルナシュ

北コーカサス料理

美味しい、美味しい、夢中になって食べられる、超美味しい!! 味付けは塩こしょう、そして生にんにくのみ。この料理は、イングーシ共和国のドゥハハウティンドゥーホートンとまったく同じ料理だ。すごい、イングーシ料理もチェチェン料理も嬉しいくらい強烈すぎる!! 緑もハーブもその他の香辛料もなく、シンプルでストレートでスタンニングな美味しさだ。なおこの生にんにくたっぷり汁は、チェチェン語ではイングーシ語と同じくベラムと呼ぶ。これも北コーカサスのソウス文化なのだ。

ジジグガルナシュ以上に驚いたのが、バッアルガルナシュ(腸詰め)。

北コーカサス料理

強烈な料理でしょ、うひょー、腸のヒダというか微絨毛の一歩手前が現れまくりで、ホントに腸を使って詰めているのがよく分かる!!中身は腸のみじん切りですから、腸に腸を詰めるというモツ好きには最高の美食です。日本人の思い浮かべる腸詰めはよくあるソーセージでしょうけれど、それとは飛びぬけてかけ離れていて、ホント面白い!!

チェチェン語の料理名も興味深いです。ホラ来た「БА1АР」みたいに「1」が入る料理名。

北コーカサス料理

「БА1АР」が上の腸詰め料理であるバッアルです。「Т1О-БЕРАМ」も「1」が入る料理で、読み方はトーベラムだそうです(カッテージチーズとスメタナのソウスらしい)。

その他チェチェン共和国では、コタムガルナシュヒンガルダルナシュアハルガルナシュチェッポルクなどを食べた。チェッポルクは北コーカサス西部のフチンなりオセチアのフィチンなりイングーシのチャッピルグなりダゲスタンのチュドゥと同じ料理だ。

そして再び驚くのが、この、ヒンガル

北コーカサス料理

カバルダ・バルカル共和国で食べたヒンカリは巨大水餃子であり、イングーシ共和国のヒンガルはピロシキと同じ料理だった。チェチェンのヒンガルは、薄焼きパンでカボチャペーストを挟んだような料理だ。上では既に「ヒンカリは単に水餃子ではないのではないか、もっと広く、炭水化物系主食と簡単なおかずが一体化した料理を指すのではないか、と仮説を立てるようになった」と書いたが、その思いは更に強まった。なおチェチェンやイングーシではカボチャを料理によく使うと聞き、それもこのヒンカリにて体験することができた。

なお、チェチェンのグロズヌイのモダンで煌びやかな街並みには圧倒された。

北コーカサス料理

美しい。見とれてしまう。私はこのチェチェンの光景を目の前にしたとき、ここから足が動かなかった。グロズヌイは2000年に終結した第2次チェチェン紛争でロシア軍に徹底的に破壊されてしまった歴史をもつ。その破壊があまりに徹底的だったためにゼロからの復興スタートをきれた。もともと産油国でリッチなことも、今の政権が親ロシアであることも復興が速い一因だろう。新しい近代都市として完全に生まれ変わりつつあった。

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10)ダゲスタン共和国

ダゲスタン共和国に着き、車窓からカスピ海が目の前を青く広がった。見えたーーー!!!カスピ海だーーー!!! ぐっと実感するものがあった。これで、黒海をスタートとし、北コーカサスを西から東まで渡り切ったのだ。コーカサス横断が終わった。

料理の変化として、まず、ハーブ類が豊富で、食卓の緑が一気に増した。

北コーカサス料理

クリミアやクラスノダール地方の食卓に戻った気がした。カスピ海沿岸ということは標高0m以下で、クリミアやクラスノダールなど黒海沿岸と同じく気候が暖かいのだから、同じようにハーブ類や野菜類に恵まれるのだろう。またシャシリク(串焼き料理)にはスマック(日本のゆかりふりかけに似たスパイス)がかかっており、ペルシャの食卓とつながった気がした。ダゲスタンは古来より交通の要所かつ関所であり、ペルシャの往来もあった史実と矛盾しない。

ダゲスタンに入るなり目に付いた料理はチュドゥだ。

北コーカサス料理

チュドゥはそこらじゅうの飲食店の看板やトップメニューに掲げられている。そしてそれは、これまでにも体験した、フチンフィチンチャッピルガシュチェッポルクなど他の北コーカサスの料理と同様のものだった。北コーカサス一帯に、名前が違っても同様の料理が根付くことを、これで、北コーカサス横断を終えたことで確認でき、味わえたことになる。

さて、チュドゥは「名前が全然違っても、似た料理」だが、その対極に・・・、

「名前が似ても、全然違う料理」、これがヒンカルである。

北コーカサス料理

肉と主食の組み合わせ。「ヒンカルはどっち?それとも両方?」と聞くと、店員は麺の方を指してくる。先に、カバルダ・バルカル共和国で食べたヒンカリやイングーシ共和国で食べたヒンガルがあまりに違ったため、「ヒンカリは単に水餃子ではなく、もっと広く、炭水化物系主食と簡単なおかずが一体化した料理を指すのではないか」と仮説を立てたわけだが、それがダゲスタン共和国に来てますます確信に近づいた。「ヒンカルは皮を主食におかずを食べる料理だ。だからジョージアのヒンカリは皮がブ厚いのだ」と、今は考えがまとまっている。

なおこのヒンカルも面白いでしょ。

北コーカサス料理

中国料理の花卷(フアジュエン)馒头(マントウ)みたく、発酵した小麦パン生地を肉汁でゆでています。味はその中国蒸しパンとまったく一緒。これがヒンカルなんです。

なお、民族としてのダゲスタン人なるものは存在しない。お隣チェチェンがほぼチェチェン人の国、北オセチアがほぼオセット人の国であるのと対照的に、多民族性はダゲスタンの大きな特徴です。主要民族はアグール人、アバール人、ダルギン人、ラク人、レズギン人、ルトゥル人、タバサラン人、ツァフル人、クムイク人、ノガイ人。1つめのヒンカルはアバールスキーヒンカル(アバール人のヒンカル)、2つめのヒンカルはトンキーヒンカルです。その他メニューにはラークスキーヒンカルダルギンスキーヒンカルなどがあり、多民族の現れであるかのように、民族ごとのヒンカルを持っていることが分かり、とっても興味深かったです。

ダゲスタン共和国のデルベントで泊まった宿のフロントで、「ダゲスタン料理」を幾つか教えてもらった。その1つに、おばさんがギョーザと言った料理がある。「へっ?餃子?」、興味深くて、だからレストランで敢えて日本語発音で「餃子」と注文してみた。注文は一発で通ったし、出てきたものが、以下の写真。驚いた。マジでギョーザじゃないか。

北コーカサス料理

ワオ!!ホントに餃子だ。民族差なのか個人差なのか、この料理名は、クルゼギュルゼギューザギョーザ、など、いろいろな発音で呼ばれているようだ。アゼルバイジャン料理にも同じものがある。しかし名称が日本語の餃子に似ている/同じであることに、非常に大きな興味を抱いた!!ホントに面白い。

そして、このダゲスタン共和国の渡航を以って、北コーカサスの全共和国という秘境を旅し終えたことになります。

* * *

11)カルムイク共和国

次に訪れたのはカルムイク共和国です。もうここは北コーカサスではありません。でもここは強烈な特徴をもっています。それは、ヨーロッパにたった1つ存在する仏教国だということです。

街並みがびっくり!!ヨーロッパにこんな国があるなんて・・・。中華街とかじゃないですよ。ここカルムイクは仏教国だということです。

北コーカサス料理

人の面立ちにびっくり!モンゴル系の人々です!

北コーカサス料理

日本人もモンゴルの血統があるもの、親近感が持てますね。食べた料理は、まずはジャンバー(無糖のミルクティー)にボルツォギ(揚げパン)、フルスンマハン(焼きそば)。

北コーカサス料理

食卓風景も料理名もとてもモンゴル度が高いです。ジャンバー(無糖のミルクティー)に、めちゃくちゃモンゴルカザフスタンを思い出した。その他、カルムイク共和国では、ドゥトゥル(モツ煮)やビューリギ(ギョウザ)などの名物料理を食べました。

* * *

12)ヴォルゴグラ-ド州

そして、ヴォルゴグラードに戻ると・・・ああ、ここはもうすっかりロシア人の街。ストロバヤ(大衆食堂)もよく見るし、メニューにあるのは普通のロシア人の料理でした。なんだか、クリミアや北コーカサスから戻ると、本当に、普通のロシアに戻ってきてしまいました。

このとき、北コーカサス山塊の旅を振り返って、思った。
北コーカサスは、美しかったなあ。
ほんと、桃源郷だったなあ・・・。

* * *

北コーカサスの旅・まとめ

まず、本編は、要点をダイジェストで書いても大変に長文となりました。各共和国ごとに分けて書いてもいいんだけど、そうすると、「国が変わると何がどう違う」という、文化の変化が書けない気がしたし、アディゲ共和国で見た「 ӏ 」がチェチェン共和国の「1」みたいな、共和国を超えた発見も書けない気がしたんです。そこで、料理の変化を中心に全ルートを俯瞰して、クリミア・北コーカサス・カルムイクの料理について一本の記事にすることとしたんです。すべて陸路での移動だったので、少しずつ場所を変えると食文化も変わってくることなど、相同や差異を見るには、1記事にまとめるのが良いと思いました。11)カルムイク共和国まで通して見てこられたなら、もう一度、1)クリミア共和国に戻って見てみてください。随分と料理が違うと実感できますから。

この土地に踏み込むための旅準備は、大変でした。チェチェン、イングーシ、ダゲスタンは最新の英語ガイドブックにも「行くな」と書いてあった。外務省の渡航情報は何十年も「行くな」と言っている。事実、現地にはロシア人観光客さえほとんどいない状態だった。治安情勢は好転の兆しとはいえ、悪いニュースは皆無ではありませんから、時間をかけ、熟考を重ね、最も大事な “綿密な下調べ” を重ねました。

それでも観光情報などはほとんど事前入手できていません。だからこそ、旅行者がほとんど通らないルートの連続で旅をし、まさに、「クリミア-北コーカサス-カルムイク」を「夢ルート」でつなぐことができました。そうして踏み込んだその土地の旅は、それまでの苦労の大きさの裏に、素晴らしい感激の世界が広がっていました。もちろん、ロシアの30日ビザの旅では、十数箇所を見ただけの体験では何も語ることはできませんが、個人旅行ならではの地元の人との触れ合いは大きく、得る感動の大きさは、計り知れないものがあった。その点には間違いがありません。

実は、今回の共和国群めぐりでは、どの共和国でも地元の人に何かしらをごちそうになっています。本当にコーカサスの人々の優しさが身に染みます。戦争を体験する人々の心は本当に優しい。優しくしてくれたみんなに感謝。そして感謝と言えば、誰よりも夫に感謝しています。尋常でない “綿密な下調べ” をこなしてくれた夫には、本当に感謝している。

でも、これだけ体験が詰まった共和国群を旅したのに、パスポートにはただ1回分のロシア出入国スタンプがあるのみ。今回の各共和国群の旅は、自分自身が強くその体験を保持しなければならないと思っている。撮った写真はおよそ3200枚。私は、それらの記録と体験に、検証を加えて記事などにして残したい。

何よりも、紛争が相次いだ今回の旅路の、今後ますますの復興と平和と幸せを、期待する。

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