今日書くエッセイは、「チャッパルカバブを通じてタリバンを学んだ」、1日の記録です。
パキスタン人のお友達のサジャードが、こんな写真と共に、彼らの美味しい国民食を教えてくれました。「あづさ、これ美味しいよ、僕らの有名料理だ、作ってよ」と。
訳:「うめぇぇぇぇぇ♪ これ僕らんとこの有名料理でね、チャッパルカバブって言うんだけど、あづさ、家で作ってよ。とにかく旨いから。」
もちろん作りました(*^ ^*) コリアンダー(パクチー)の種、クミンの種、乾燥赤唐辛子をフライパンで乾炒りしてからクラッシュしてひき肉に練り込む薄いハンバーグです。感動したのはローストしたコリアンダーの種の香りの良さとプチプチした食感の良さでした。パンに挟んで食べたのですが、一緒に揚げ焼きにした青唐辛子のマイルドな辛さが良いスパイスになって実に美味しかったです。
このチャッパルカバブ(又はチョッパリケバブ)について、英語レシピを見ているとき、目に留まったフレーズがあります。
「これは、パシュトゥン人の、iconic(※)な料理である」
※iconic=象徴、聖像
サジャードに質問したら、この料理はアフガニスタンにも確実に存在するとのことです。またパキスタンの中ではペシャワーリーケバブと広く呼ばれることも分かりました。
☆ここまでのキーワード☆
「パシュトゥン人」「ペシャワール」「アフガニスタン」「パキスタン」
地図(Google map)を見ました。ペシャワールはパキスタン北部の街。主人に聞くと大都市だそうです。位置がすごいな。2つの首都のど真ん中。
パシュトゥン人の分布(≫こちら)。
パシュトゥン人の分布は、ペシャワールの位置とも重なりました。
そして、タリバン拠点とも重なりました。
いろいろとつながってきました。チャッパルカバブが名物(つまり美味しい)であるマンセーラやタフティバーイも、地図を見たらパキスタンのカイバルパクトゥンクワ州にあり、カイバルパクトゥンクワ州の州都はペシャワールで、ペシャワールはパシュトゥン人の街。
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パシュトゥン人は、パキスタンとアフガニスタンにまたがって分布している。いや、人が先だ。パシュトゥン人がいるところにあとから国境線が引かれてパシュトゥン人が分断された。今のパキスタンは昔はインドだったからね。この国境線は、インドを領土とする、つまり英国が引いたものです。
もし日本で、例えば埼玉県あたりで国境線が引かれて日本が分断されたらどうなるだろう。朝鮮半島が、ソウルのちょっと北(まるで東京から見た埼玉のような?)で国境線が引かれて分断された件については、私たちは韓国と北朝鮮の事例で、位置の近さからとても身近にニュースを見てきている。
人が同じで宗教が同じで言葉が同じ。
それは、パキスタンとアフガニスタンのパシュトゥン人にも、言えることなんだ。
「タリバン」は、パキスタンで生まれ、やがてアフガニスタンの政権を得た、主にパシュトゥン人からなる組織である。イスラム教に徹底することで、取り締まりも厳しく、悪いイメージでも随分と報道されたようだが、実際には、タリバンがアフガンを統治した時期に23年に及ぶ内戦が終結し、全土統一とも呼ばれる時代を迎えた(※)。
※ホントは全土統一してない。北部にはタリバンが及ばない地域として残ったところもある。
タリバンは9・11事件(2001年)後に政権をおろされるが、タリバン統治の時代には「安全なアフガニスタン」が作られていた。「戒律は厳しかったが治安は回復され、一定の市民の支持があった。」とは、池上彰さんの言葉でもある。
ただ、アメリカによって壊滅したタリバン勢力もその多くが隣国パキスタンに逃げ込んでいる。その勢力や軍事力は、まだ失われていない。
この、パシュトゥン人を主とする集団が、パキスタンで生まれ、アフガンに入り、パキスタンに逃げ込むという、国境線を越えた移動をしているのも、国境の両側がパシュトゥン人の地域で、人が同じで宗教が同じで言葉が同じだったから容易だったのではないかな。
・・・英国が、あんな国境線(パシュトゥン人を分断するような国境線)を引かなかったら、タリバンもなかったかもしれないな・・・。
「アフガン問題はパキスタン抜きには語れない」とはよく言われること。私は、パシュトゥン人のiconic(象徴、聖像)なチャッパルカバブを作って、食べて、そしてそれが「アフ&パキの共通国民食」ということに気付いた後、学べて、考えることができて、そしてこの言葉に対する理解が深まった気がする。
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下の写真は、北部同盟、伝説のアフガン司令官、アフマド・シャー・マスードです。アフガニスタンにて撮影。今度は、アフガン北部料理を作って、食べて、ソ連のアフガン侵攻と北部同盟とマスードについて、学んで、考えてみよう。