これは、先日の日記にも掲載した、チャドの田舎の食堂の看板の写真です。チャドはスーダンと接していますので、スーダン人の友人オスマン氏に、スーダンにもこれらの料理(kabab、nachif(nashif)、Kibda、Marara、Ordvre)があるかどうかを、聞いてみました。あと、私が知らない「Koura」について、どんな料理なのかを質問しました。
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「だいたいスーダン料理と同じだね。
カバブ、ナシーフ、キブダ、マララ。
クラは牛または羊の足を煮込んだスープだよ。
ただ、「ordvre」は知らない(他の名前で呼ばれていない限り)。」
Yes most of them are sudanese
1- kabab
2- nachif
3- Kibda
4- marara
Koura is soup of cow or ship legs
But i do not know about ordvre
Unless it has another name
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チャドとスーダンで、共通する料理を、具体的により見出すことができました!! この写真はチャドのボンゴルという、カメルーンとの国境に近い町(スーダンとは反対側)で撮影しているだけに、驚きましたし、嬉しかったし、・・・でも、当然だという気持ちが再確認さえされました。
このアラブ料理の伝播の主な要因は、ハウサ人という、商業に長けるアラブの民だと思います。ハウサ人は、ヌビア(エジプトやスーダン)方面から西アフリカまで移動した人々。エジプト-スーダン-チャド-ニジェール-マリ-セネガルへ。そしてその周辺国へと、食文化は、徐々に形を変えたとしても、伝播していったのだと思いました。
ちなみに、スーダン人であるオスマン氏が「ordvreは知らない」と言っていたことで、私は、遅れて気が付くことができました。「ordvre」はフランス語かつ日本語化もしている「オードブル」、すなわち前菜です。なぜ気づくことができたかというと、スーダンとチャドで差異を考えたら、その1つは、チャドは元フランス領であり、スーダンはもとエジプトと同じ国かつ英領でもあったこと。すなわち、フランス語あるいはフランス料理の影響の流入が、チャドにはあってスーダンにはなかったのだろうと思ったのです。
このハウサ・アラブの一連の流れを、宗主国で区切ると、以下のようになります。
エジプト-スーダン ←ここまで英領
チャド-ニジェール-マリ-セネガル ←ここは仏領
今回、スーダン料理とチャド料理の共通項と差異について、一面をまとめました。オスマンが「ordvreは知らない」と言ったことで、フランス料理の影響が、チャドにはやはり直接的にあるのだろう(そしてスーダンには多分ない)ことも実感できました。