最初に、「シーラーズ・ビ・ブカル」という、和書で魅力的な料理を見つけた。カッテージチーズとみじん切り野菜を混ぜる料理の出典には「エル=バグダディ(13世紀)」と、それが「ペルシャ・インド料理」の項に記載されていた。
ペルシャは、時代によって版図が違っても、主要部分は今のイランですよね。その料理名である「シーラーズ・ビ・ブカル(Shiraz bi buqal)」の「シーラーズ」はイランの第二の都市の名ですから、初めからすっかりこれをイラン料理だと思い込んでしまっていました。
レシピ記事を作るにあたり、「シーラーズビブカル」をペルシャ文字で表記する必要が出てきました。シーラーズは都市の名前だから簡単に綴りが分かるとしても、さあ困ったよ、「ビブカル」を、辞書やサイトで探しても探しても、出てこないよ。
ペルシャ語はほとんど知らないけれど、アラビア語はちょっとは知っている。
ペルシャ文字での綴りを探している間もずっと気になっていたのは、「ビ」がアラビア語の前置詞だということです(英語のwithに似た使い方をする)。そういえば、「エル=バグダディ」の「エル」もアラビア語の定冠詞だなあ。
そして、料理名である「シーラーズビブカル(Shiraz bi buqal)」を、今度はアラビア語と仮定して、ネット検索をし始めました。数時間経ってもあまり得るものがなく、次に、料理の出典である「エル=バグダディ」をアラビア語で検索。
・・・やられた。ここまで気づかない私もまだまだ知識が足りないですね。「バグダディ」って、イラクの首都のバグダッドだったのです。単にイラクにとどまらない、それこそアラブの文化の1つの中心地。・・・最初この料理はイラン料理と思っていたところ、だんだん、アラブ料理、そして現在の国にどこかに当てはめるのであれば、イラク料理だと思うようになってきました。
更に探していると、この料理の、より正しい出典が出てきました。「Kitab al-Tabikh by al-Baghdadi, 1226 CE」、つまり、「キターブアルタビーク、byアルバグダディ(1226年)」です。懐かしいアラビア語です。キターブは本、タビークは料理、アルは定冠詞なので、「キターブアルタビーク」はそのまま「料理の本」ですね。
كتاب الطبق
キターブアルタビーク
book of the dish
さらに、冒頭で「エル=バグダディ」という出典を見たと書きましたが、エではなくアで、「アルバグダディ」で良さそうです。
البغدادي
アルバグダディ
バグダッドの意味
しかし、「byアルバグダディ(1226年)」という書かれ方だと、「アルバグダディ」は人名でしょうか?
「アルバグダディ」を人名と仮定して、また探していきます。
この文章を見つけました。
「this al-Kitab al-Tabikh (Book of Dishes or Cookery Book), perhaps better known in English as “A Baghdad Cookery Book” and in the SCA as “al-Baghdadi”.」
「in the SCA」って何でしょう? SCAってどこ?
(最後の最後に調べました。Society for Creative Anachronism(創造的アナクロニズム協会)、古代~17世紀頃までの歴史的研究及び実践を旨とするアメリカの団体)
ともあれ、英語の書籍名が「A Baghdad Cookery Book」であることが分かりました。
探したら、あったー! amazonで簡単に見つけられました。
「A Baghdad Cookery Book」、これが、冒頭の「エル=バグダディ」が示している本だ!!
「For centuries, it had been the favourite Arabic cookery book of the Turks.(何世紀にもわたって、それはトルコ人のお気に入りのアラビア語の料理の本でした)」って書いてあるー。トルコ料理とアラブ料理に類似要素や共通要素が多いのは、距離が近いとか、支配者層が近いとか、そういうものだけでなく、アラブが早くに繁栄して書と記録を残すことができたために、トルコが受容したのですね。
amazonでは、この本の著者が「Muhammad bin Hasan al-Baghdadi」となっていました。
Muhammad bin Hasan al-Baghdadi
ムハンマド(モハメッド)ビンハサン アルバグダディ
ここまで分かれば、アラビア語で探すのも楽です。
محمد بن حسن البغدادي
「usually called al-Baghdadi (d.1239 AD) was the compiler of an early Arabic language cookbook of the Abbasid period, كتاب الطبيخ Kitab al-Tabikh (The Book of Dishes), written in 1226.」
「彼は、通称「アルバグダディ」と呼ばれ、1239年死去。Abbasid period(アッバシドピリオド)における初期アラビア語料理本(キターブアルタビーク、1226年)の編集者だった。」
あ、つながった。
上で出てきた1226年と同じだ。
しかしAbbasid period(アッバシドピリオド)っていつのこと?
でもこれはすぐ分かった。あの「アッバース朝」のことだった。
アッバース朝は、中東地域を支配したイスラム王朝(750~1258年)(のちのカイロアッバース朝は1261~1517年)。バグダッドは762~796年、809~836年、892~1258という長い間にわたり、アッバース朝の首都・都だった。当時のバグダッドは、世界で一番大規模な都市だった。上で出てきた1226年は、まさにバグダッドが繁栄する都だったときであり、キターブアルタビークは、その栄えある時代に記録された、アラビア語の料理本だったのです。
なお、シラーズについてはこのような記述を見つけました、
「What shîrâz is. Thanks to the glossary by Nawal Nasrallah in Annals of a Caliphs’ Kitchens. It is drained, and therefore thick, mâst, which is sour yogurt made with rennet.」
シラーズはマーストつまり酸乳を水切りして濃厚にしたもので、日本語では水切りヨーグルトあるいは乾燥ヨーグルトが近いと思いました。しかしながら現時点では、イランの第二の都市であるシラーズの都市名の由来に乾燥ヨーグルトが関係あるのかないのかは分かりません。
なお、最後まで意味が分からなかった「ブカル」も解決しました。簡易アラビア語は母音を表示しないので、子音だけを、「ب」(b)、「ق」(q)、「ل」(l)と入れて「بقل」と綴ったら、「ハーブ」や「香味野菜」という意味でした。これを、「ب」(ビ:英語のwithのように使う前置詞」でつないで、
シーラーズビブカル
شيراز ب بقل
香味野菜入りのカッテージチーズ
という料理名になります。
アッバース朝があったから、今の欧州の発展がある。今の現代社会がある。それは十字軍がイスラムから持ち帰った、さまざまなイスラム文化、イスラム経済、イスラム科学が、欧州発展の土台の大きな部分となっているからです。
さあ、この、栄えあるアッバース朝のレシピで、偉大なるイスラムを偲んでみませんか。作るのは簡単ですし、めちゃくちゃ美味しいですし、何より1000年以上の歴史を感じる有意義なレシピであるかもしれません。
個人的には、こういうことを調べてから、なるべくきちんと分かってからレシピ化するのが大好きです。これからも、「レシピの向こうに地球が見える」ということを、時間をかけてでも、納得いくまで実践していこうと思います。