私がいつも心に留めていることがある。
『その国の料理を知りたいから、その国の地理と民族と気候と政治と、できれば言語までもたくさん勉強しなければ』と。
どれも薬剤師の私には専門分野ではなくむしろ苦手分野だけれども、苦手でも、頑張って勉強しようとは思っています。
さて、今年度初頭の日記にこう書きました。「今年度は久しく勘が働かなくなっているフランス語を再度向上させたいため、2019年度前期(4~9月)はフランス語圏の国の料理を強化します。」
スパイス大使2年連続就任!!2019年度の抱負、2018年度の成果。
その一環として、チャド料理について勉強をしていました。もっとチャドについて全土俯瞰的に学ばなければと思っている折に、とても有難い論文に出会ったのです(≫こちら)。
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チャド共和国は、日本人が国名以上のことをあまり聞いたことがないかもしれない国の1つです。内戦に次ぐ内戦、政治的緊張に部族間対立にと、行きたくてもそうそう行ける国でもありません。そこは、東にダルフール、北にリビア、南にアナーキー(※無政府状態)な中央アフリカ共和国北部。旅慣れたバックパッカーすら排除するような国です。多分、世界旅行バックパッカーをランダムに1000人選出したとして、チャドに行く人は1人いるかいないかという確率なんじゃないかな。・・・スーダン側が大丈夫だった頃は良かったんだけどね。でも今や、チャドは、袋小路のアフリカの秘境なのです。
東にダルフール、北にリビア・・・、とはいえ、私は、東がダメでも北がダメでも、「それならば、西から入って南に抜ける」というルートに挑戦しようとしました。でもそれ以前に、チャドの内戦が勃発している最中であるため、チャドに行くこと自体が、旅の大きな壁と化したのです。内戦勃発のニュースを受けて外務省の海外安全情報ではチャドは全土真っ赤っか。つまり全土退避勧告となってしまったのです。
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カメルーンでは、ドゥアラでの警察騒動、首都ヤウンデでの暴動騒動、意図せぬ長期滞在・・・。ガボン、コンゴ共和、赤道ギニア、チャド・・・ビザを取るために大使館に足を運びまくったヤウンデの毎日。日本大使館のレター(ビザ発給のために他国大使館に宛てて書く願い状)だって必要だ。外務省渡航情報で全土真っ赤っかのチャド。チャド大使館はレターを持ってこいと言うし、日本大使館は最終的にはレターを出せないということになってしまった。
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「もう、疲れちゃったな。」・・・、意図せぬ長期滞在となった頃、コンゴ共和ビザをやっとの思いで受領して、でも赤道ギニアビザを申請させてもらえなくて、その帰り道、私はスコールに降られました。なんかツイてないなぁ。
にわたずみ(流れる雨水)を見ながら、商店の軒先で雨宿り。
ヤウンデに来てから、ビザをいっぱい取ったなぁ。
でも、そろそろヤウンデ、出たいよぅ。
見たことのないビザがいっぱいのパスポートを手にしながら、とぼとぼと、何故かとっても泣きたくなりながら、濡れて宿に帰りました。
おかえりー
赤道ギニアダメだったー、受付正午までだって
じゃあもう取らずに明日出ちゃおうか
帰りね、レターなしでチャドビザ申請に行こうかなナンテ思っちゃったくらい
何で行かなかったの
相談してからって思って
そっか
(ρ_;)グス
本当にチャドが危険なら、東部の反政府軍が首都進攻している内紛において、南部に敗残兵が散ったとか、政府機能が麻痺したといった、「明らかに今チャドに行ってはいけない」という悪い情報が得られるはずなんです。もともと地域情勢の基盤知識がある上で「調べて調べて調べつくす、聞いて聞いて聞きまわる」ということをしているのに、それなのに、チャド大使館で領事や大使(外交のトップ!)と何度も面談し、実際にチャドに行き来しているチャド人とも話をしても、私たちが渡航予定の地域においては、安全情報しか入ってこない・・・。「安全に確信が持てる情報」しか返ってこないのでは、逆に外務省の言う「全土真っ赤っか地図(全土退避勧告)」の信憑性が下がるばかりです。だってチャドには日本大使館がないからチャドで現地調査をしていない上での情報なのは明らかなのだもの・・・。
(ρ_;)グス だって、今の私たちのほうが、外務省情報よりずっと細かくチャドのこと知ってるよ?
そうだよ、だから、チャド大使館、行ってこいよ
!
そこまでしてチャド渡航を選んだつもりはなかった。諦めるときも来ると思っていた。だけど、バンと扉を閉めて、外に出たのを覚えている。時刻は午後2時50分。まだ朝食も昼食も摂っていないけれど、心が行きたいほうへ足を運ばせた。そしてチャド大使館を訪れると、チャド大使館領事が喜んで迎え入れてくれました。「ツーリストビザを申請します」と言うと、何故か前回はレターが必要と言ったのに、今日は何も言わずに、申請用紙をそっと2枚出してくれたんです。「今日は本当はもう遅いんだけれど、この係員に書類と料金と写真を渡していってくれれば明日の朝一番に作っておいてあげるからね」と言って、領事は帰宅していきました。
そうして、翌日、内戦真っ只中のチャドのビザが取れてしまった。ヤウンデを発つ決意が出来た。次の日にはカメルーンの果て行きの夜行列車に乗った。そうして、ガイドブックにも乗っていない国境から入国したチャドは、紛争国とは思えないほどの、まさに夢の国だったのです。
ああ懐かしい。
西アフリカ一帯とも重なる美しいサヘルの文化があった。
サヘルはサハラの縁(ふち)。
美しい交易路とイスラム文化の灯が連なる美しい土地。
「全土退避勧告が出ているような国を訪問して何かあれば非難されるのは当然」と考えていることから、安全性に自信を持ってからも迷い、ちょっと無理してチャドに来ちゃったかなと思う由もあるけれど、でも、ものすごく下調べをして時間をかけて慎重になって自信をもって決断した。
チャドに来て、本当に良かったって、今も思うよ。
この国は、アフリカの他国の旅と比べても、人も文化も「ちょっと違う」感じがとてもします。そして、じゃあどの国に似ているかと問われれば、その答えはスーダンであるように思います。
でも、広いチャドの中の、南西部のほんの数都市しか訪れていないのでは私のチャドの実体験は寡少なもので、他国以上によほどの勉強の努力をしないとチャドの基礎知識すら掌握できないなと困っていた折に、とても有難い論文に出会ったのです(≫こちら)。
チャドで活動した著者の先生の、フィールドワークを経ての、学位論文のようです。
書籍としても販売されていました(≫こちら)。
貧困・紛争・砂漠化の構造というテーマの中で、自然環境、チャドという国家だけでなくチャド盆地としての概念、農牧漁業、人口分布・民族・文化、歴史、政治紛争、気候変動と砂漠化、住民生活などが詳解されており、住民生活のあたりでは、民家で食べる食事についても記載があり、チャド料理も大いに学べる内容でした。チャド全土俯瞰的な視点には、本当に勉強になりました。
全部読んで、自分がやっとその視点に立つ糸口を持てたことに、感動すらしました。
あのときの私と夫の、全土退避勧告の国に向かう決断に今なら言える、「今この感動を与えてくれて、あのときの決断に、ありがとう」と。
そうだよ、だから、チャド大使館、行ってこいよ
!
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最後、チャド大使館で、チャド大使のおじさんと話をすることができました。おじさんは「Le Tchad est bel endroit. Alors allez !!」(チャドはいいところだよ、いっといで)と、不安ばかり相談してしまった私に背中を押すように言ってくれました。
Merci beaucoup、ありがとう。
その言葉は、Je ne l’oublie pas、私は今も忘れていませんから。。。