福建省を旅したとき、現地で食べて美味しくて感動した料理に「ツーリューダーバイツァイ」があります。
私がその場で調理人に料理名を教えてもらった文字は「醋溜大白菜」ですが、今中国語でネットを見ると「醋熘大白菜」の表記が相当多く出てくるんですね・・・。これが見逃せないくらいに多い。どちらが正しいのか、違いは何なのか、それとも違わないのか。私は料理研究活動をする上で今回抱いた疑問をスルーすべきではないと思い、頑張って検証してみました。中国語は初心者だし本当に難しくて訳が間違えているかもしれませんが…。
ぱっと見て分かるよう、熘は赤文字で、溜は青文字で記します。
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◆“熘”、“溜”字辩(≫こちら)
タイトルは「熘と溜という字についての議論」。ここから解決の糸口になる文章を抜粋してみます。
- 料理用語の中には、発音は同じでも文字表記が違うものがある(烹饪术语中,有些说出来语音对,写到字上就错了)
- 最近では溜を熘と書くことも多い(时今,溜又多写为熘)
- 1979年の中国の大型総合辞書の改訂版で「熘」という用語が初めて記録された(1979年修订版《辞海》中,始录“熘”字)。宴会場の料理のように、料理を作っておいて、出す前に再加熱する場合、それを「熘」と言ったようだ(蒸成,上席前及时蒸热,以便出菜快捷。此法为馏,即熘)
- 一方「溜」の字は非常に古くからある(“溜”之则很古老)
- 「溜」は元は川の名前だが(可知“溜”字初义为河流名)、のちに「溜」の意味は拡張した(后来,“溜”字又有了引申义)
- 中華民国初期の『菜食説略』において「溜」は料理名ではなく調理法として記載されている(民国初年薛宝辰的《素食说略》也录有两款溜馔,但“溜”不在馔名里,是在操俎过程中)。つまり、調味料を入れて炒めるのではなく、具を炒めてから調味料を入れる(即先炸后溜,而不是先溜后炸)
- 溜メソッドの定義(溜法定义):肉や魚のほか野菜の茎などでも(青蔬茎部等)、揚げるか焼くなどして表面は香ばしく調理され中は素材の柔らかさを残し、そして後から調味液を加える(经热油炸至外脆里嫩或用温油滑熟而软,再用预先兑制的味汁在锅具中翻溜成馔的烹饪方法)
- 溜は熘とは違う。熘は蒸気を活用する調理法なので、溜には熘の要素がない(溜非熘,熘同馏,附属蒸法,故溜法不涉及熘)
非常に興味深く読みました。「熘」の字の初登場は1979年と新しいこと、「溜」は古く元は川の名前だが意味が広がって具を炒めてから後で調味料を入れるような行為を指すこと。これは川の流れと調味料の投入が接点なのかな? 「熘」は調味料を先に入れて蒸気と香りを出す技法で、溜には熘の要素がないこと。などなど勉強になりました。
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◆熘|Weblio辞書中国語辞典(≫こちら)
「熘(溜)」と、カッコ書きをして、「炒めた後調味料に片栗粉を入れてとろみをつける、炒めてあんかけにする。」という意味が掲載されています。
◆溜|Weblio辞書中国語辞典(≫こちら)
一方「溜」は、滑るとかセメントを流し入れるという意味はありますが料理に関連する意味はありません。強いて言うなら上の「熘」にカッコ書きで(溜)と書かれているように片栗粉あんかけの意味に使われることになりますが、この中国語辞典での優先順位として、このあんかけ調理法にふさわしい文字は溜よりも熘です。
◆百度翻译(≫こちら)
百度翻译(バイドゥファンイ)は百度(バイドゥ)つまり中国版検索エンジンの翻訳サイトです。中国語→英語の翻訳はGoogle翻訳より精度が高くて流石。役に立ちます(ちなみに私は外国語から日本語への直接翻訳はあまりしません。いったん英語にして英語で読まないと文章がおかしく訳される現状からです)。
醋熘白菜と醋溜白菜の訳が違います。つまり百度の翻訳精度では両者を識別しているんです。醋熘白菜は「白菜を酢で素早く炒めて片栗粉あんかけにする」。一方醋溜白菜は「酢漬け白菜」。この「酢漬け白菜」は上で書いた「溜」は後から調味料を入れることと一致します。
◆醋“熘溜”白菜看似一样,炒出的醋香,导致2种菜的味道截然不同(≫こちら)
ヤッタ!今回私が作ったツーリューダーバイツァイそのものの記事だ!
タイトルは「醋熘白菜と醋溜白菜は同じように見えるが、炒めて出た酢の香りが、2つの料理の味わいを決定的に変えた」。
- 多くの人が「醋熘白菜」といえば、火偏(ひへん)の「醋熘白菜」ではなく「醋溜白菜」だと思っています(大多数人讲到“醋熘白菜”都是问的“醋溜白菜”而非火字旁的“醋熘白菜”)
- 1字違いとはいえ、その1字によって「意味・理解」と「作る手順」が異なり、味も違ってきます(虽然说这两道菜名只是单单差了一个字,但就是因为这一个字,就能让两种菜品的“含义理解”以及“成品制作步骤”完全不同,在味道上,自然也就变得相差悬殊)
- 「溜」の字は酢を入れて作る白菜の炒め物を示す。これが「醋溜白菜」である(字面理解就是要把醋这种液体直接炒入白菜内即为醋溜白菜)
- 「醋熘白菜」ではまず鍋を高温に熱して酢の香りを立たせる(必须先用高温烫出醋香)。それから白菜を炒めて「醋熘白菜」が出来上がる。(再炒入白菜才成醋熘白菜)
よい記事のおかげでだんだん腑に落ちてきました。そもそも「溜」は日本語では「溜まる(たまる)」なのに中国語では「すべる」なので、イメージ違いに気を付けなければなりませんね。で、すべり入れるように調味料を投入するというイメージで、「溜」は味付けです。溜は古くからある字で、熘の文字が使われたのが最近なので、熘の文字がない頃は先に炒めて後で調味料を入れても逆でも、酢で味付けすれば醋溜だったはず。
今、多くの人が「ツーリューバイツァイ」を「醋溜白菜」だと思っているが、それはやはり熘の文字が新しいので使用実績が少ないからだろう。しかし今は醋溜と醋熘があるので使い分け、酢の香りを立たせて白菜に酢の蒸気を絡めるようなら「醋熘白菜」と呼びたい。
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ところで、日本人の日本料理も、文字や来歴と現状の調理が食い違うことが多々あります。寺の名前に由来する肉なし精進料理の「けんちん汁」にも、名前の由来も気にせず、また好みで豚肉を入れたりするレシピもよく見かけるのがその例です。
だから、中国人の作り方も文字や来歴の通りには行われていないようです。
とこのようにバラバラ。さらには辞書上は熘(溜)は片栗粉のとろみをつけるあんかけと定義されていますがとろみをつけないレシピもたくさんありました(≫こちら)。
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言葉には元の意味があるとしても言葉は元から離れて使われていくのですね。けんちん汁が寺の名前に由来することを知らない人も、豚肉を入れたら美味しいじゃんって言う人も多いでしょう、でもけんちん汁といったら、みんな何となく「大根、ねぎ、こんにゃくなどが入った野菜たっぷり具沢山の味噌味の汁物」みたいに料理の概念は思い描けるわけです。
ツーリューバイツァイも、過去の料理記録や文字の意味から離れても、料理概念としては、みんな何となく「酢で酸っぱくした白菜の炒め物」みたいに思い描ける。だから、酢を先に入れても後から入れてもツーリューバイツァイ。文字の意味より来歴よりも、辞書に片栗粉あんかけと書いてあっても、みんな、料理概念として「酢で酸っぱくした白菜の炒め物」なら「醋熘白菜」も「醋溜白菜」も混用された状態で文字を充てている。
逆に言おう。なぜならみんな共通していることがある。文字が「醋熘白菜」でも「醋溜白菜」でも、現代中国人の料理概念としてそれは「酢で酸っぱくした白菜の炒め物」なのです。