セルビアの伝統的なコーヒーであるドマチャカファは粉と水から煮出す濃いコーヒーで、日本語ではしばしばトルココーヒーとも表記される飲料です。
「ドマチャカファ」の綴りは、セルビアではラテン文字とキリル文字が使われていることにより、
ラテン文字:「Domaća kafa」
キリル文字:「Домаћа кафа」
です。
私は、「ドマチャ」の意味を知りたくてネットを見ているとき、日本語訳の違和感が非常に気になりました。「カファ」はコーヒーの意味ですが、では「ドマチャ」の意味は?
◆Google画像検索
こんな感じで見てみると、セルビアの伝統コーヒーを日本語で紹介するサイトが5つ出てきたので、それらが「ドマチャ」をどのように日本語訳にしているのかを見てみました。
◆1つめ
「ドマチャカファ」を「自家製コーヒー」と表記。
◆2つめ
「ドマチャカファ」は英語で「Turkish coffee」と呼ばれることからこれをカタカナにして「ターキッシュコーヒー」と表記したが、日本語訳はしていない。
◆3つめ
「Domaća kafa」を英語に直訳した「Domestic coffee」をカタカナにして「ドメスティックコーヒー」と表記したが、日本語訳はしていない。
◆4つめ
「ドマチャカファ」を「自家製コーヒー」と表記。
◆5つめ
「ドマチャカファ」を「トルココーヒー」と表記。「トルココーヒー」という単語は和製造語なので、幾分かは日本語訳になったと言うことができるが、「ドマチャ」の直訳は「トルコ」ではない。
* * *
さて、5つのうち、「自家製コーヒー」と訳したものが最も日本語訳に近いように見えるが、実はこれでは訳として誤りである。それが、私が覚えた冒頭記載の日本語訳の違和感です。
理由は、「訳」(やく)というものの性質です。
外国語料理名を日本語に置き換えるときに押さえるポイントがあります。以下は以前日記に書いた参考記事です。
ベトナムのフォーを例にした、外国語料理名を日本語に置き換えるときに押さえるポイント
日本語では焙煎したコーヒー豆から成分を抽出した飲み物は「コーヒー」と総称されます。「コーヒー」という親要素を構成する子要素には、温度の違いで子要素を語る場合にはホットコーヒーやアイスコーヒーがあります。でも今は温度の違いは除外して淹れ方の違いでコーヒーの子要素を語りたいです。となると、「コーヒー」という親要素を構成する子要素には、「ドリップコーヒー」、「水出しコーヒー」、「フレンチプレス」などがあります。ここではこれら子要素をA、B、Cと置きます。
「ドマチャカファ」(いわゆるトルココーヒー)はフィルターを使わずに水と粉を煮出して上澄みを飲むコーヒーであり、コーヒーの淹れ方の1要素です。つまり「コーヒー」という親要素に属する子要素の1つで、ここでは子要素Dと置きます。
ここで「ドマチャカファ」を「自家製コーヒー」と置き換えてA、B、C、Dを並べて書いてみましょう。
「ドリップコーヒー」、「水出しコーヒー」、「フレンチプレス」、「自家製コーヒー」
「自家製コーヒー」だけがおかしいと気づきますね?
理由は、自家製の用法がおかしいからです。
もし誰かに「うちには自家製コーヒーがあります」と言ったら何をイメージされるでしょう? コーヒーの木を自宅で栽培して豆を得ていると思われるかもしれない。コーヒー豆を自宅で焙煎していると思われるかもしれない。「訳」(やく)というものは、元の単語を知らない人がその訳を読んだときに正しい実態を思い描かせなければならないのです。セルビアの「ドマチャカファ」は決して自家製コーヒーではない。なぜならばコーヒー豆を自分の家で作らなくてよい(コーヒー豆をお店で買ってよい)し、自宅で淹れる必要性もない(お店が淹れてもいいコーヒーです)。なので、「自家製コーヒー」という言葉は間違えているのです。
と、これが私が覚えた違和感だったのです。
* * *
では私は、「ドマチャカファ」をどう訳そうかな?
- 日本でも「フレンチプレス」というコーヒーの淹れ方名がある程度周知されているから、「フレンチプレス」の対比で「トルココーヒー」という和製造語を使ってよい。ただしトルココーヒーという用語だけでは伝わらない人も多いだろうから、日本語訳として使う場合は、さらに「粉と水から煮出す濃いコーヒー」のように、内容が伝わるような補助表記があったほうがいいな。
- あるいは最初から「粉と水から煮出す濃いコーヒー」(いわゆるトルココーヒー)と誰にでも分かる説明を先に書いておいて、で、表記場所に余力があれば「いわゆるトルココーヒーのことですよ」と分かるような一文を書き足すのもよいな。
- セルビアの地は長らくオスマントルコの版図にあり、セルビアの文化はトルコ文化によって発展し、トルココーヒーは華やかな文化の流入だったことであろう。「我々のコーヒー」や「オスマン文化のコーヒー」や「オスマン帝国のコーヒー」の意味で「国内コーヒー」(ドメスティックコーヒー)すなわち「ドマチャカファ」と呼ばれたのではないだろうか。そもそも「ドメスティック」とは真っ先に「国内」の意味で使う単語なのだから、「ドマチャカファ」は「オスマントルコの国内コーヒー」なのだ。ちょっと言い方がわざとらしいが、「オスマントルコ文化圏のコーヒー」と言えば自然である。「ドマチャカファ」は直訳して「国内コーヒー」でありセルビアがトルコであった背景を受け止めた上でそれを「トルココーヒー」と呼びたい。
- あるいはセルビア史においてオスマントルコ時代は過去のものなので、その当時からある「ドマチャカファ」は「セルビアの伝統コーヒー」というように書いてもよいだろう。
* * *
セルビアの伝統コーヒーである「ドマチャカファ」の日本語訳は、(1)ある程度コーヒーを知っている人向けの前提で書くなら「トルココーヒー」。(2)説明と理解を目的に書くなら「粉と水から煮出す濃いコーヒー」。(3)「ドメスティック」(国内)感を出したい場合はセルビアが歴史的にトルコだったことから「トルココーヒー」か、あるいは(4)「セルビアの土地に根付いてきた伝統コーヒー」などがよいだろう。
* * *
私はこのコーヒーを飲むときは、偉大なオスマン文化を思い描きながら、美味しく丁寧に優雅に淹れたいと思っています。そして地球の中世~近代の目線になって、感動を得ながら、美味しいと思いながら飲みたいと思います。