リビア料理

+++新着+++


【基礎情報】

国名:リビア国State of Libya、首都:トリポリ、ISO3166-1国コード:LY/LBY、独立国(1951年連合国統治終了)、公用語:アラビア語、通貨:リビアディナール

▲目次に戻る


【地図】

リビアは北アフリカの国で地中海に面しています。東から時計回りにエジプト、スーダン、チャド、ニジェール、アルジェリア、チュニジアと接しています。また地中海を渡った先にはマルタ、イタリア、ギリシャがあります。

▲目次に戻る


◆マグレブの食文化、ミスルの食文化、地中海の食文化、砂漠の食文化

リビア料理を語るキーワードは「東にミスル、西にマグレブ」。ミスルはエジプトの言葉によるエジプトの意味で、マグレブは現在の国区分ではモロッコからチュニジアを指す用語です。その北アフリカの2大文化はリビアが境目。なぜ境目かというとリビアは人が少ない砂漠がちな国だから。でもリビアでは国民のほとんどが地中海沿岸部に住むので主要文化は砂漠より海。そこに東と西が入り込んで綺麗に融合しているのです。リビアに行ってごはんを食べると「これはチュニジアと同じ料理だ!」とか「やった!エジプト料理発見!」のようにいろんな北アフリカ料理が見つかる。それがリビアの食文化です。

リビア料理
オスバン(伝統的な腸詰め)はリビアで人気の美食(撮影地トリポリ)

冒頭に書いた「東にミスル、西にマグレブ」。リビアとはその北アフリカ2大文化圏の狭間にある、アフリカ大陸第4位の面積をもち国土の9割がサハラ砂漠という国です。そこは古代より3地域がありました。東部のキレナイカ、北西部沿岸沿いのトリポリタニア、残り南西の内陸部がフェザーン、そしてその3つを統べて行政名としてリビアと呼んだのはイタリア植民地時代(1911-1942)の宗主国イタリアです。

地中海に面したリビアの沿岸部は、古代より北アフリカの重要な東西交易路です。アラブ人の往来と定着により、古くよりアラブ人が定着し先住のベルベル人は内陸へ押しやられ、またアラブ人はイスラム教を持ち込みました。16世紀にオスマントルコの支配下に入り、トルコ文化の影響を大きく受け、今でも建築物や料理などにトルコの文化が見られます。

リビアは第一次世界大戦前にイタリア領へ。第二次世界大戦時は枢軸国(イタリアを含む)が劣勢となり、連合国統治(1943-1951年)を経たのち国連採決でリビア連合王国が誕生(1951年)。まだこのときは「連合」なので「3つの地域に3つの政府がある」形ですが1963年に統一国家のリビア誕生! なお1955年より石油開発が開始され莫大な収益を得るも国民にあまり還元されなかったため国民は不満で、かの有名なカダフィ氏が革命を起こし政権を掌握。以降カダフィによる長期安定政権が敷かれます(1969年-2011年)。

カダフィの理念は「イスラム、社会主義、平等、自由、統一」。リビアからユダヤ人(※)とイタリア人は追放され、ほぼ全国民がイスラム教徒かつ社会主義の国が作られていきます。

※ユダヤ人は紀元前からリビアに住んでいた。1931年調査では総人口55万人の4%がユダヤ人だった(21000人)。イタリア領末期にファシストのイタリア政権は反ユダヤ法を可決しユダヤ人の強制収容や虐殺が行われた。1948年イスラエル建国後はリビアを脱出するユダヤ人も多く、カダフィ政権よりずいぶん前にユダヤ人は激減していた。

カダフィは奢侈を嫌いあまり贅沢していなかったので(※他の産油国の長は超豪華絢爛です)、石油がもたらす莫大な資金を国作りに使いました。原油確認埋蔵量がアフリカナンバーワン! 国民1人あたりGDP(※)が1990年統計でも2000年統計でもアフリカナンバーワン! さらに人間開発指数もアフリカナンバーワン!(2010年) アフリカでよく見られる「よそ者が肌の色で人を分けてきた国」や「宗主国が国作りせず国じゅうボロボロな国」とリビアは根本が違う。カダフィはリビア生まれのリビア人。カリスマ性と政治力と石油の財力で、欧州の言いなりにならずに「すべての人に家・暮らし・教育・医療を」と掲げて国作りをしてきました。

※出典IMF。1990年次点はガボン、2000年次点はセーシェル。

社会主義 -それは国民の平等を是とする- の理念も働き、リビアはインフラの底辺レベルが高い(※)。国の大部分で淡水が無料で得られるように人工大河川まで建設されたのだから本当にすごいこと。カダフィ時代のリビアにはアフリカ中から労働者のみならず大勢の留学生も集まり活気づいていた。アフリカを牽引する優等生国家だったのです。

※アフリカには今も電気・水道・ガス等のインフラがなく、わらぶきや土壁の家など昔と同じ様式で生活する地域がたくさんあります。

2011年チュニジアでアラブの春(民主化運動)。その波からカダフィ暗殺。反政府軍が東に政府を樹立して西のトリポリと対立し内戦へ。欧州が東についたためNATO軍がリビア首都圏を空爆したり、西とてお金はあるので武器はたっぷり買えるから内戦はそうそうおさまらない。現在は停戦中で暫定的な統一政府が作られた(2021年)もののリビアは今も東西分裂状態・政情不安です。私がやっと渡航できたのは2023年で、泥沼からちょっと回復したくらいのリビアに行っても、欧州の経済制裁が続いて渡航するのもホントに大変で、聞いていたような昔の良さは見えませんでした。国民のみなさんは笑顔で優しいのですけどね。

* * *

さてここまでリビアの歴史と現在を紹介しました。そこからリビアの食文化の要素が見出せます。

  1. マグレブの料理
    現在の国家単位でマグレブとはモロッコ・アルジェリア・チュニジアを指します。リビア料理はこれらの料理によく似ています。代表例はクスクス(極小粒パスタ)やタジン(肉や魚の蒸し焼き)。特に隣国チュニジアとの共通点が大きく、ブリーク(薄い小麦粉の皮に具を挟んで揚げる)、オスバン(米と香草入り腸詰め)、ハリーサ(唐辛子調味料)、それから砂漠のベルベル人料理どうしも共通点が多いです。
  2. ミスルの料理
    ミスルはエジプト人によるエジプトの呼称です。リビアではターメイヤ(ソラマメコロッケ)、コシャリ(マカロニと豆入りごはんのトマトソースがけ)、カルカデ(ハイビスカス茶)など、一般にはエジプト料理として知られる料理もあります。
  3. 南部の砂漠の料理
    リビアの内陸のサハラ砂漠地域にはベルベル人やトゥアレグ人が居住しています。砂漠地方の料理の例はブシサ(豆粉の油和え)、タマル(デーツ)、シャイ(甘い紅茶)、砂の熱で焼くパンなど。
  4. 地中海の食文化
    リビアでは人口のほとんどが地中海沿岸に集中しているので国家的に食文化をみるとベルベルやトゥアレグの食はマイノリティー。メジャーなのは地中海料理です。彼らは魚介類が大好きでシーフードはリビア料理の主軸。ハライミ(魚のトマト煮)やムバクバカ(シーフードシチューにパスタを入れて煮たもの)など。カットレモンがいろんな料理に添えてあって地中海の恵みを感じます。
  5. オスマントルコの影響
    リビアではトルココーヒーも定番。リビアではガフワアラビーヤと呼ばれます。
  6. イタリアの影響
    イタリア料理もリビア料理も地中海の食文化。トマトを使う赤いソースがリビアではとても目立ちます。軽食にはビザ(ピザはリビアの言葉ではビザと言う)も定番。何よりイタリアから輸入されたエスプレッソマシンが大量に国内に出回っていて、カフェではイタリアと同じ味のエスプレッソやそのミルク割りなどが淹れられています。まわりがみなシャイ(紅茶や緑茶)の国なのにリビアだけがコーヒーの国なのです。
  7. イスラム教
    リビア人はほぼ全員がイスラム教徒で、豚肉や酒とは縁のない生活を送っています。エジプトにはコプト教徒がいるしチュニジアはやや寛容なのでお酒も買えますがリビアは徹底的に禁酒です。また金曜日には家庭でクスクスやバジーン(穀物粉をもち状に練ったもの)など手の込んだ料理が作られるのも、金曜日を週末とするイスラム教に基づいた生活習慣です。
  8. 社会主義
    社会主義国だったこともあって食は均一化しているように見受けられます。広大な国なので料理は地方郷土色が豊かかと思いきや、それほど変わり映えしないようです。
  9. 内戦、欧州の経済制裁
    砂漠の国ゆえ農産品が少なく食糧を輸入に頼らざるを得ない。しかし内戦や経済制裁の影響から、スーパーに行っても欧州の食糧品が目立ちません。これが、ちょっといい店に入るとMade in France製品にあふれる瀟洒なチュニジアとの大きな違い。でも言い換えればリビアは料理にアフリカらしさを残しているのです。
  10. ユダヤ人
    リビアからいなくなった大勢のユダヤ人はイスラエルに住んでおり、ハライミ(魚のトマト煮)やハリーサ(唐辛子調味料)などリビアと共通する料理が家庭で作られています。リビアの外でもリビアの料理が受け継がれています。

リビアは依然として渡航難関国であり、旅行情報でさえままならないほど少ないのに、料理情報となると本当に少ないですね。地理的要素としては、マグレブの食文化、エジプトの食文化、地中海の食文化、砂漠の食文化が融合していますが、旅行者が観光で訪問するのは首都トリポリがメインとなるでしょうから、予習するならマグレブの料理をまず覚えていくとよいですね。
▲目次に戻る


Link

▲目次に戻る