今日のタイトルは、「あの素晴らしいチベット料理ヤクポテトパイのチベット語を知りたくて、追いかけた(未完)」です。
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「チベットは、チベット自治区だけじゃない。」ということをこの目で見たくて、旅に出た。
チベット自治区はあくまでチベットの一部にすぎず、チベット自治区の外(青海省、四川省、甘粛省、雲南省)にも多数のチベット自治県やチベット自治州がある。私は、二週間強の旅に出て、四川省成都IN→四川省内チベット人自治州→青海省→甘粛省→四川省→成都OUTで、チベット自治州外のチベット人居住地域を旅しました。15日間の中国ノービザ滞在をフル活用しての旅でした。
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図解します。
中国の行政区分を描き、チベット自治区をピンクにしました。
チベット自治区外のチベット人自治地域を水色で線引きしました。
チベット人自治地域をピンクで塗ると、こんなに広域になりました。
チベット自治区になれないチベットもあるということか。だから私は、チベット自治区の外にある、いわゆる「カム」と「アムド」を旅したくて、四川省→青海省→甘粛省→四川省戻りというルートを組みました。「東チベット」の、「カム」から「アムド」に入って「カム」に戻るルートです。
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私がこの旅で追いかけるのは、チベット文化と、チベットの勉強と、チベット料理と、そのチベット語料理名と、材料や作り方です。観光ももちろん取り入れています。
今回も気持ちを一から、そう、初心にかえって、食べたり聞いたりしたチベット料理名をチベット文字でも記録していきます。レストランのメニューも、街中の料理看板も、出来るだけメモします。メモは転写なので簡単なのですが、ハイパー困難なのが「地元の人の発音」です。チベット語は、同じ文字を違う人が読むと違う発音になることがものすごく多くて、発音の収集には本当に苦労しました(世界の中でもその苦労の大きさでは上位に来るという印象です)。
また、旅はハイスピードで移動していきますから、甘孜(カンゼ)の料理名の疑問点を玉树(ユーシュー)の宿の人に教えてもらったり、玉树(ユーシュー)の料理名の疑問点を夏河(シャーハー)の人に質問したり、といったことも多々繰り返しました。妥協と言えますがそれでも質問せずに放っておくよりはよいはずだ。そうやって、旅の間は、かなりずっとチベット語について勉強し続けていたように思います。
さて、アムドを代表するチベット仏教寺「ラプラン寺」がある夏河(シャーハー)の街にて。宿のリビング兼食堂では、隣席の中国人に招かれてチベット料理をご馳走になりました。「隣席の中国人」とはこの地域の公安(警察)のお三方で、2人はチベット族、1人は漢族です。
おいしそーv これを作った宿の人には、料理名は「炕锅牛肉」(カンゴワニューズー)と中国語で教えてもらえました。ただ、この料理のチベット語の料理名を知りたい。聞けば「うーん、ないなあ、チベット語にすると、なんかコレという名前にならないなぁ」という返答です。・・・分かります・・・。日本料理でだって、受け継がれて広まってきた伝統料理には、寿司とかお好み焼きとか冷や奴のような、「ズバリ手短(てみじか)」な名称があるものです。チベット料理だって、ツァンパ(麦こがし)とかシャク(肉スープ)のような、受け継がれて広まってきたものには「ズバリ手短」な名称がついています。しかし、そうでない場合、日本の料理でだって「白菜と豚肉の重ね蒸し」とか「明日葉のバターポン酢炒め」のような、なんとも手短でない名前になりがちでしょう。宿の人は上の写真の料理について、その後者だと言っているのです。名前がないならないで、それがチベット料理の姿なのならそれでよし。と、そう思ってしまった私は、それ以上の質問をせず、夏河(シャーハー)の街を後にしたのでした。
しかし、旅の最終地である四川省の省都の成都に着き、成都のチベット人街を歩いているとき、上の美味しそうな料理のチベット語表記を見つけてしまったのです!!
中国語では「牛肉盖饼」(ニュールーガイピン)と書いてありますが、写真を見れば同系統の料理であることは疑いの余地がないでしょう。お肉とじゃがいもを炒めて、上に麺生地を乗せて火を通すものです。
「གཡག་ཤ་དང་ཞོག་ཁོག་བགྲོ་འགེབས།」!!
・・・帰国の間際になって、私が日本で是非作りたいと願う大好きで美味しいチベット料理のチベット語表記を見つけてしまった。この記事を書いている今は既に帰国していますが、私は、この料理のチベット語の読み方や意味を知りたい!!
ということで、この記事では、チベット語の読み書きにとことん素人ながらも、「知りたい」という気持ちに素直になって、調べものに没頭し、自己解決した過程を残しておこうと思います。上にも書いたように、私の短い旅の経験だけでも、チベット語は、同じ文字を違う人が読むと違う発音になることがものすごく多くて、答えは1つではないはずです。私の考察が、その1つの答えに含まれるものであればいいなと思います。
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美味しそーv
◆料理を作った宿のメニュー表
なお、この料理を作った宿のメニュー表における料理名は「牦牛土豆派」だった。
読み方は「マオニュートートーパイ」。直訳すると、「ヤク肉・じゃがいも・パイ」である。
面白いね。「派」は「Pai」つまりパイ。ヤク肉とじゃがいものパイ。メニューにはこの単語に相当するチベット名はついていませんでした。冒頭にも書いたように、このメニューを置いている宿の人にチベット料理名を聞いても、「うーん、ないなあ、チベット語にすると、なんかコレという名前にならないなぁ」という返答でしたから、「牦牛土豆派」のチベット名を追うのはやめておきます。
◆写真の文字を起こしてみる。
གཡག་ཤ་དང་ཞོག་ཁོག་བགྲོ་འགེབས།
うん、やっぱり、「ズバリ手短料理名」じゃないよねぇ。この文字の多さは、名前を敢えてつけているから長くなっている気がするね。英語併記の「Yak meat and potato with a bread lid」のように、「肉とじゃがいも炒めの麺生地乗せ」みたいな名前になっているのでしょうか。
◆Google翻訳。
だめだ。
現在チベット語に非対応。
同じチベット文字を使うゾンカ語も非対応。
よし、そうなったら、文字をチベット語サイトと照合して、1つ1つ単語の意味を集めていこう。
◆Wikipediaチベット語「གཡག་」(≫こちら)
གཡག་
最初の3文字は、ヤクです。
◆あづさメモの記録より
私がチベット料理を収集して最初に覚えた単語が「ཤ」(シャ)です。肉という意味です。
གཡག་ཤ་
1~4文字目、これでヤクシャ。
つまりヤク肉です。
なお、「་」は、「ツェク」という記号で、「morpheme delimiter」すなわち「ここが意味をなす部分(形態素)の区切り」ということを示す。だから「གཡག་」で「ヤク」、「ཤ་」で「肉」という、単語の区切りがツェクの記号から分かる。
5文字目以降は、
དང་ 心当たりなし
ཞོག་ཁོག་ 多分じゃがいも。現地ではショーコとかシュークとか言ってた。
བགྲོ་ 心当たりなし。
འགེབས། 心当たりなし。
全文字揃ったチベタン表記は、
གཡག་ཤ་དང་ཞོག་ཁོག་བགྲོ་འགེབས།
これでグーグル検索→出ない。
百度検索→出ない。
写真の中国語表記は「牛肉盖饼」。
これをあわせて検索しても、出ない。
夏河の宿の人に教えてもらった料理名は炕锅牛肉だ。
これをあわせて検索しても、出ない。
「炕锅牛肉」は中国語の料理名だから、「チベット料理としての」という意味で「藏式」をつけてみる。
藏式炕锅牛肉で検索→出ない。
じゃあ、写真の牛肉盖饼に藏式をつけて「藏式牛肉盖饼」で検索。
あ、同じような料理写真が出てきた。
だけどチベット語名が出てこない。
画像検索ばかりするうちに、「羊肉焖饼」(ヤンロームンピン)という似た料理を見つけた。ウイグル族の料理のようだ。でもこのチベット語名は出てこない。
中国政府はGoogle規制を行っており、中国人そしてチベット人が中国本土にいてGoogleにアクセスすることは、特殊な方法を使わない限り、まずない。日本でならば検索の最大手のGoogleも、中国の情報は集めにくくなる。あるいはGoogleの中国政府への忖度なのか、ともあれGoogle検索でチベットの情報が得られにくいことを、ここまでの作業で痛感した。
この段階では、「གཡག་ཤ་དང་ཞོག་ཁོག་བགྲོ་འགེབས།」の意味は解明できていない。
◆アプリでTibetan English Dictionaryをインストール。
このスマホアプリは、文字を1つずつ削るのではなく、単語単位で切ってくれるからすごく良い。だから「གཡག་ཤ་དང་ཞོག་ཁོག་བགྲོ་འགེབས།」から、少しずつ文字を削って、単語単位で英語訳を出していくことができる。
གཡག་ཤ་=yak’s flesh=ヤク肉
དང=and、発音は≫こちらにより「ダン」でよいだろう。
ཞོག་ཁོག=potato=じゃがいも
བགྲོ་=熟考する???議論する??
འགེབས།=カバーする
となった。
「བགྲོ་=熟考する???議論する??」だけが怪しいが、「ヤク肉とじゃがいもの覆い焼き」くらいの意味にはなってきたので、収穫はあった。
◆チベット牧畜文化辞典(≫こちら)
素晴らしいPDFがある。本当にすごいんだから見てみて!! これだけのものを作り上げて尊敬する。そして決して見飽きない素晴らしい情報の集大成に私は心底感謝すらしています。さて、ここには上の「འགེབས།」が掲載されていた。覆うという意味で、読み方は「ゲブ」でよいだろう。
未解決の「བགོ」は、ゴという読み方でよさそうだ。意味は「分配する」という意味が出てきた。しかし、まだこの訳では料理内容と合わない気がする。
◆Google検索と百度検索
しばらく、心当たりのある料理名で検索を続ける。とにかくチベット語の料理名にたどりつきたい。
羊肉盖被、出ない。
牛肉盖被、出ない。
牦牛盖被、出ない。
◆あづさ撮影写真
捜索に膨大な時間を使ってきた頃、ふと、自分の旅写真にヒントがあるかもしれないと思った。旅の間はよくメニュー表を撮影させてもらっているので、膨大な撮影記録の中から、他のチベット料理名が写っているものを探した。
あった。
「土豆铺盖面」、中国語では「トートープーガイミェン」と読むであろう。「土豆」(トートー、じゃがいも)、「铺盖」(プーガイ、フタをする)、「面」(ミェン、麺生地)の通り、「じゃがいの麺生地乗せ焼き」のような意味になる。料理名として意味が通っている!!
そこに併記されているチベット語を文字に起こした。
「ཞོག་ཁོག་ཕྱེ་འགེབས།」
でもこれだけでは、Google検索でも百度検索でも、料理情報に直結する検索結果は得られなかった。
◆先ほどの辞書アプリ
「ཞོག་ཁོག་ཕྱེ་འགེབས།」
の1~4文字目は上述の通り、ཞོག་ཁོག་ 多分じゃがいも。現地でショーコとかシュークとか言ってたやつだ。
5文字目を翻訳アプリで探すと、
ཕྱེ
separate(分離する)、distinguish(明確にする)
読み方は、
/tɕʰ/に/e/がつくので、ツェ、だと思う。
6~9文字目は上述の通り、
འགེབས།=カバーする、覆う。読み方は「ゲブ」でよいだろう。
つまり、
ཞོག་ཁོག་ཕྱི་འགེབས།
は
「じゃがいもを中に、そして、覆いをする」という意味になるのか???
でも、separateやdistinguishじゃ、料理名としては違う気がする。
◆チベット牧畜文化辞典(≫こちら)
上の5文字目の「ཕྱེ」を、再びチベット牧畜文化辞典で根気強く探した。
「ཕྱེ」を含む単語を見ていると、どうも小麦粉関係の言葉が多いんだよね。
!!!そして見つけた!!!
「ཕྱེ」は「小麦粉」あるいは「小麦麺」だ!!!
読み方は
(軽いΦつきの)/ɕwe/がつくので、スェ、だと思う。
現地(甘粛省夏河市)のチベット料理の店のメニューにある「ཞོག་ཁོག་ཕྱེ་འགེབས།」は、
左から、「じゃがいも・小麦の麺・覆い」
なので、
併記されている「土豆铺盖面」(トートープーガイミェン)と同じく、「じゃがいの麺生地乗せ焼き」のような意味になるだろう。料理名として意味が通っている!!
ああ、これにて、ひとまず腑に落ちる解決に至った。
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【結論】
多くのチベット料理店やチベット人宿で提供する、お肉とじゃがいもの炒め物を麺生地で覆い焼きにする料理は、チベット語で「ཞོག་ཁོག་ཕྱེ་འགེབས།」と表記できる。読み手により発音が多様なチベット語であるが、ひとつの読み方として「ショーコスェゲブ」があると思われた。これは「ジャガイモの麺生地覆い焼き」のような意味になるので、「གཡག་ཤ་དང་ཞོག་ཁོག་ཕྱེ་འགེབས།」(ヤクシャダンショーコスェゲブ)として「ヤク肉とジャガイモの麺生地覆い焼き」にすると、より料理の特徴を示す料理名になる。
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美味しそーv
私が採用する料理名がやっと決まりました。「གཡག་ཤ་དང་ཞོག་ཁོག་ཕྱེ་འགེབས།」(ヤクシャダンショーコスェゲブ)。意味は「ヤク肉とジャガイモの麺生地覆い焼き」です。
ここまで、調べるのに時間はかかったけれど、やっと、いただいた料理の現地の名称が分かった気がする。
チベットは中国政府の行政内にあり、中国が敷くネット規制を受けています。私は日本で便利にGoogleを使うけれど、中国人やチベット人がGoogleにアクセスできないので、私がGoogleで検索などをしても、とにかく情報が出ない。だから、チベット語の読み書きが素人の私は苦労しました。
でもそれでも腑に落ちる答えがつかめたのは、実際にチベットに行ったからです。今回の検証は、実際に現地で撮った写真と、現地取材メモとあわせなければ達成できませんでした。
でもこのタイトルは、インターネットを使った検証では完全を期していないことを重々承知しているため、「あの素晴らしいチベット料理「ヤクポテトパイ」のチベット語を知りたくて、追いかけた(未完)」としました。
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初めてのチベットは、壮大な世界だった、すごかった。感動した。あとからちゃんとまとめなければと思った。私の取材対象はチベット料理の形成と収集についてですが、めいっぱい旅もしてきました。国際線で着いた成都は標高500mですが、次に標高1900m→次に2200m→次に3300mと、短い行程で次々に高度が上がっていくので、高地の酸素の薄さと高度紫外線が体に堪えます。次に寝た場所は標高3900mで、高山病特有の頭痛と共に寝ている感覚でした(ほんと、きっつい!)。
でも旅は楽しく、チベット料理に関する新発見と新考察が相次ぎ、また、食堂のおばちゃんや宿のお姉さんたちのご指導のおかげで、チベット語の文字も随分と読めるようになりました。
現地の記録は私の宝物です。これからも見返して、分からないことが今後より減っていくように、大好きなチベット料理も自宅で作っていきながら、「自宅でチベット」をこれからも楽しもうと思います。