私の次の旅は、チベット。「本当のチベット」。
本当のチベット?
・・・チベットと言えば普通はチベット自治区を指すのでしょうけれど、それは本当のチベットなんでしょうか。
今計画を進めているのチベットの旅では、実は大きな目的地をカムとアムドにしようと思っています。
でも私自身「チベット」をしっかりと詳しく語れるほどには知りません。ただ事前学習は必要なので、今日の日記は、私のための事前学習として、自分がしっかり地理を整理できるように、地図を次々に作って理解のレールを追いかけていくことにしました。この地図の変化による理解の段取りが誰かの役に立てたら嬉しいですし。
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1)中国です。
中国の地図といえば、領土問題はあちこちあるんだけど、こんな形が、今一般的かな。台湾については今言及しません。
2)省とか自治区の線を入れた。
33個あります(台湾を入れると34)。22(23)省、5自治区(ここにチベット自治区が含まれる)、4直轄市、2特別行政区。多そうに見えるけど、日本の都道府県より少ないんだね。
3)行政区分に名前を入れました。
ちなみに見ないで入れてみようと頑張ったら4つ間違えたぁ(@@)ごめんなさーい。「チベット自治区」は中国西部の広大な区域ですね。
4)チベット自治区をピンクにしました。
チベットっていうと、ここをイメージする人がきっと多いことでしょう。
でも!!
チベット人/チベット族/チベタンの分布はもっと広いんです!!
チベット自治区の東北~東に位置する青海省、甘粛省、四川省、雲南省の4省には、省の中に、チベット族自治州やチベット族自治県があるんです。
5)4省に、チベット族の州や県の境界線を入れます。
ひゃー。中国西部は民族の混ざり合いが強いことが伺えます。
6)行政上のチベット族居住区域をピンクにします。
ということで、チベット自治区の外にある「チベット族区域の州および県」12か所をピンク色にしたら、なななんとチベット自治区の2倍の面積になった!!! ・・・え?でも待ってよ? これってチベット族居住地域の半分がチベット(自治区)にしてもらえてないってこと??(※)
※「チベット族区域の州および県12か所」は「チベット族居住地域であるがチベット自治区になっていない」という主旨で書いていますが、もっと言うと、チベット居住地域のうち「チベット族区域の州および県12か所にもなっていない」ところはもっともっとあるのです。
7)省の単位で行政上のチベット族居住区域を見てみます。
そこでもう一度一級行政区だけの区切りでピンク色を重ねると、青海省ほぼ全域がピンクなのがすごい!! 青海省ほぼ全域と、四川省の西半分がチベット族の州です(甘粛省と雲南省は一部がチベット族の県)。すごいな、特に青海省が面白そうじゃない?
8)チベット族に古くから伝わる区域名を示します。
現在の省区分の線を残したまま、従来のチベットによる地域名を入れてみた。青海省はほぼアムドなのか、すごいな。カムは今のチベット自治区の東側と四川省の西側。チベット自治区の中西部はウーツァン(もちろんもっと細かい呼び方もある)。
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この地図を描くのに貴重な丸1日を費やしました。チベット自治区という範囲と、民族的文化的チベットが随分異なることを、こうして見続けることになり、痛いほどチベット族の人々の気持ちを受け止めざるを得なくて、時間はかかったけれど、時間をかけてむしろ本当に良かった。やってよかった。現在チベット本土(チベット自治区)への個人自由旅行は厳しい現状にありますし、今私の関心はカムとアムドです。チベットになれなかったチベットと言ってよいのかどうかもまだ分かりませんが・・・。カムの反乱など、歴史事項は頭に入れて、きちんと旅をしようと思います。
チベット自治区の外にもチベット族の州や県があります。それらは12個あります。
【青海省】
果洛(ゴロク)チベット族自治州
海西(ハイシー)チベット族自治州
海南(ハイナン)チベット族自治州
玉樹(ユーシュー)チベット族自治州
黄南(ファンナン)チベット族自治州
海北(ハイペイ)チベット族自治州
【四川省】
甘孜(カンゼ)チベット族自治州
阿坝(アバ)チベット族チャン族自治州
木里(ムリ)チベット族自治県(涼山イ族自治州内)
【甘粛省】
天祝(バイリ)チベット族自治県(武威市内)
甘南(カンナン)チベット族自治州
【雲南省】
迪慶(デチェン)チベット族自治州
省の中のこれらの位置は、地図のラインを引いたからかなり覚えた。大丈夫。あとは旅準備。移動情報や観光のための足探しなど。私はそれに加えてチベット料理情報も必要です。
青海省や四川省西部はどういうところなのでしょうか。
1949年:中華人民共和国成立。
1950年代:民族識別工作実施、人民解放軍チベット侵攻・北部東部制圧、チベット動乱、ダライラマ亡命。
1965~1975年:チベット自治区成立。文化大革命。宗教が徹底的に批判され宗教活動が禁じられ、チベット族は特にその影響を大きく被り、仏像が融かされ、寺院が焼かれ、僧侶が殺されたという。。。
今、ものすごい勢いで漢化が進んでいます。本来の文化もどんどん失われて -それは漢化という文化変換なのだが- 人が着るものも街の景観も随分と様変わりが進んでいます。
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これまで私が旅したチベット文化圏といえば、全部、中国の外、全部、ヒマラヤ山脈の南側でした。それでも、随分と、チベタンの地域で、チベット人と触れ合ってこれたように思います。
伝統文化を強く残してきた国、ブータン。
観光立国を目指すも社会不安定が続く国、ネパール。
それから、ラサのポタラ宮に次ぐ世界第二のタワン僧院を誇る、インド東北部アルナーチャルプラデシュ。
これらを旅して、チベットに憧れを抱きながら、チベット料理と言われる料理も、随分と食べることができました。
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これらの地域には、「テントゥク」と呼ばれる「ひらひらしたうどん」の料理が多くあります。
小麦粉で麺をうつ料理は、ヒマラヤを越えて南方に伝搬してきました。そして、テントゥクの起源は、アムドだと言われています。
アムドのほとんどは、今はチベット自治区の外に位置することが分かります。これが青海省のほとんどと甘粛省の西部地域に相当します。
“テントゥクの起源は、青海省にあり”
実際にそうなのか確かめてきたい。
ネパール、ブータン、アルナチャルプラデシュの文化には、チベットから人が運んできたものがたくさんありました。青い空に白くそびえるヒマラヤの山を間近に見ていると、そのヒマラヤを越えて、チベットへ行きたい衝動に何度もかられました。チベットの文化をちゃんとチベットで見たいと思う気持ちが強くなっていました。
でも、チベットは、チベット自治区だけじゃないんだ。
私は南から見てヒマラヤを越えた先にある、カムとアムドへ行こう。四川省の山奥に入って青海省へ行こう。それから甘粛省もだ。
そして、カムとアムドに行ったなら、私は絶対にテントゥクを食べてくる。絶対に。
・・・↑この最後の一言を言いたいがために、ここまで地図を描いたのでした。勉強になりました。楽しいのは楽しかったのですが・・・、何やってんだろう _| ̄|○ と脱力すらする濃厚な1日半だったのでした(;^_^A【完】