トルコ料理の定番はケバプです。でもこれ、トルコ語で「Kebap」(ケバプ)だったり「Kebabı」(ケバブ)だったり、どちらも見かけるんです。単独で使うと「Kebap」(ケバプ)であるのに、なぜ「ケバブ」と日本語化してしまったのだろう。
そう思って、ケバブとケバプの違いを、トルコ語文法の本を調べてまとめました。
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日本語では、複合名詞の場合、割と2単語をそのままつなげればいいですね。
「天ぷらそば」は、天ぷら+そば。
活用しないので割と簡単です。
トルコ語の場合、それぞれの単語の語尾が変化します。
1つめの名詞に所有の意味合いがあれば1つめも語尾変化しますが、普通の複合名詞であれば2つめが変化します。
◆2つめの名詞の語尾が変化する(属格語尾)
- 母音で終わる単語の語尾変化:最終母音がaかıなら「sı」、oかuなら「su」、eかiなら「si」、öかüなら「sü」が末尾になる。つまり前の母音をかなり引き継ぎます。
- 子音で終わる単語の語尾変化:その子音の前の母音がaかıなら「ı」、oかuなら「u」、eかiなら「i」、öかüなら「ü」が末尾になる。
- →「ç、k、p、t」で終わる単語に母音がつくときには、それぞれ「c、ğ、b、d」へと子音が変化した上で母音がつく(子音変化)。これは無声の音を有声に変える変化である。
- →水(su)が属格変化をするときには、yを挟んでからuがつく(介入子音)。
それぞれ、例を、食べ物に限定して探してみました。
<1. の例>
2つめが母音で終わる単語の語尾変化の例は、「Çoban salatası」(チョバンサラタス、羊飼いのサラダ)です。
「Çoban」(チョバン)は羊飼いという意味です。
「Salata」(サラタ)はサラダという意味です。
2つをつなげるとき、2つめの名詞の語尾が変化します。
「Salata」(サラタ)は母音の「a」で終わっているので語尾に「sı」がつき、「Salatası」(サラタス)になりました。
「Mercimek çorbası」(メルジメッキチョルバス、レンズ豆のスープ)も同様です。「Mercimek」(メルジメッキ)はレンズ豆。「Çorba」(チョルバ)がスープ。チョルバが母音終わりの単語の語尾変化をして「Mercimek çorbası」(メルジメッキチョルバス)になりました。
<2. の例>
2つめが子音で終わる単語の語尾変化の例は、「Zeytinyağı」(ゼイティンヤール、オリーブオイル)です。
「Zeytin」(ゼイティン)はオリーブという意味です。
「Yağ」(ヤー)はオイルという意味です。
2つをつなげるとき、2つめの名詞の語尾が変化します。
「Yağ」(ヤー)は子音で終わっており、子音の前が「a」なので語尾に「ı」がつき、「Yağı」(ヤール)になりました。
「オリーブオイル」が1つの単語として扱われるようになり、「Zeytinyağı」(ゼイティンヤール)になりました。
<3. の例>
子音変化が起こる例を、とうとう本題の「ケバプとケバブの違い」で見ていきます。
「Patlıcan」(パトゥルジャン)はナスです。
「Kebap」(ケバプ)は肉の串焼きやその他焼き料理です。
2つをつなげるとき、2つめの名詞の語尾が変化し、無声音である「p」は有声音の「b」に子音を変えてから、またその直前の母音が「a」なので「ı」がつき、「Patlıcan kebabı」(パトゥルジャンケバブ、日本語ではナスケバブ)になりました。
わーい\(^^)/ ケバプがケバブになった~!
なお、日本でも有名な「回転肉の削ぎ落とし」場合は、「Döner kebap」と、語尾変化を起こしません。
「döner」(ドネル)は回転するという形容詞なので、複合名詞(名詞+名詞)の語尾変化をしないんです。
「Kebap」(ケバプ)は「Kebap」(ケバプ)のまま、「ドネルケバプ」と呼ぶのが正しいです。
また、上の「Patlıcan kebabı」(パトゥルジャンケバブ、ナスケバブ)ですが、もしこれを、「ナスの、ケバブ」というように、「ナス」を形容詞化する場合は、名詞に「lı」をつけて形容詞化し、複合名詞でなくなるのでケバブはケバプ(原型)に戻り、「Patlıcanlı kebap」(パトゥルジャンルケバプ、ナスのケバブ)となります。
トルコ語の、形容詞化された名詞
最後に。
トルコ語でのネットの検索結果を見ていて思うのは、誤記?誤用?活用が正しくない?と思うものもあるんですね。それが地域差(方言)なのか年齢差(若者言葉)なのか、それとも単にトルコ語が若い言語すぎるため定着していないのか、私には分かりません。パソコン上で探すにも限界があることだと思います。
でもひとまず、標準語ベースで「ケバプとケバブの違い」が分かったのでよしとします。トルコ語は実に素人なのだけど、素人が知り始めるときが、一番向上を感じ、「やってよかった」と思うのでした。勉強の時間はかかりましたが、時間をかけたぶん、今後の人生がまた有意義になれそうです(*^^*)