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- 「本文はじめ」に、料理の特徴の項を1つ増やし、「料理名はアラビア語とスペイン語が交ざる」点を追記しました。
【基礎情報】
国名:サハラ・アラブ民主共和国、Sahrawi Arab Democratic Republic、首都:ラユーン(主張)、ティファリティ(事実上)、ティンドーフ(亡命政府設置)、ISO3166-1国コード:EH/ESH、共和国宣言:1976年(スペイン撤退後)、公用語:アラビア語、スペイン語、通貨:モロッコディルハム。
【地図】
西サハラはアフリカ大陸北西部の大西洋に面した国です。北から時計回りにモロッコ、アルジェリア、モーリタニアに接しています。大西洋沖の島はスペインです(カナリア諸島)。
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◆砂漠のキッチンへようこそ。本当の西サハラ料理はどこに行けばあるのでしょう
モロッコを北から南下して西サハラを旅すると、クスクスにタジン、角切り野菜のサラダに甘いミントティーなど、国が変わったことに気づかないほど食文化が似ているように感じました。そりゃそうか、だって、西サハラの国土はほとんどモロッコに占領されててモロッコ人が多く住むんだもの。旅行者はモロッコ占領地域しか旅できないんだもの。更に西サハラにもともといた人々は大勢アルジェリアに行っちゃったんだもの。今西サハラにあるのは、モロッコが築くインフラのもと、モロッコから輸入される食材で主にはモロッコ人が作る料理です。西サハラに行っても本当の西サハラ料理に出会うのは難しいかもしれません。
*このサイトでは、モロッコについて別ページを設けます。日本は西サハラ(サハラ・アラブ民主共和国)を国家として承認していませんが、サハラ・アラブ民主共和国はアフリカ連合(AU)に加盟しており世界85か国から承認されているのがその理由です。モロッコも西サハラの領有権を主張していますが、本ページでは西サハラを1か国とカウントして食文化を記載していきます。
サハラの民のおもてなしは、砂糖たっぷりのミントティー(撮影地ダクラ)
西サハラという言葉は知っていてもピンと来にくいものです。アフリカ大陸の西部沿岸部に位置する国ですが、日本発行の地図では主権国を明記しないグレーゾーンとなっており、グレーゾーン面積としてはカシミールを抜いて世界最大です(南極を除く)。西サハラの地域の先住民はサハラウィと呼ばれるサハラ砂漠の民。昔の彼らの記録映像を見ると驚きますよ。男性の青い民族衣装、ラクダをひき、肥えた女性がパンを焼き、砂の上で暮らす様子はモーリタニア人かと思うほどです。サハラウィは土着のベルベル人と中世期にアラビア半島方面から侵攻してきたアラブ人の混血者たちで、伝統的にはラクダをひいて遊牧生活を営む人々です。民族としてはかなりモーリタニア人に近いです。
20世紀後半、西アフリカの多くの国がフランスから独立(※)した後も、スペインは、スペイン領西サハラを保持し続けました。その頃のスペインと言えばフランコ総統の長期独裁政権の時代。しかしフランコが高齢で衰弱するとスペイン内政は海外領土どころではなくなり、フランコ没年(1975年)にスペインは西サハラを放棄します。ちなみに最後の18年間は西サハラはスペイン国内州の地位を獲得しており、サハラウィの都市部(特に沿岸部)への定住化も随分と進んでいました。独立国家の樹立を目指してサハラウィがポリサリオ(政党)を結成したのもこの期間中です。
※西サハラ周辺では、モロッコ独立が1956年、モーリタニアが1960年、アルジェリアが1962年。
スペインが撤退したらポリサリオの独立国がめでたく誕生♪ と思いきや、スペインは西サハラをモロッコとモーリタニアに譲ることを決定。うーん、なんで元フランス領に譲るかなあ? サハラウィたちは「出てけ」とばかりに両国と戦争開始。モーリタニア戦は割と短期でしたが、モロッコ戦は長期化し、戦闘と停戦を経て最近もまた戦闘を再開したとのニュースが。モロッコとの戦争中、モロッコは有名な「砂の壁」(※1)を作ってモロッコ領土と主張する区域を段階的に拡張し、数多くのサハラウィを追い出してモロッコ人の移住を推進しました。追い出されたサハラウィは大勢が難民となりポリサリオ政府と共にアルジェリアに逃れました。ポリサリオはアルジェリア内で亡命政権「サハラ・アラブ民主共和国」を設置して抵抗を続けています。「サハラ・アラブ民主共和国」は世界85か国から承認(2021年9月時点)されている国家です。砂の壁より西(海側)が国土の2/3を占めるモロッコ占領地域で、モロッコ人が多数入植(※2)しています。ポリサリオ管理区域は国土の1/3しかなく、砂漠の不毛地帯で遊牧民が細々と暮らすのみ。
※1:砂の壁:モロッコが西サハラ領土内において自国領を主張するために延々と地雷を埋め込んだライン。※2:2015年の時点でモロッコの入植者は人口50万人の少なくとも3分の2を占めると推定されている。
ま、一言で言うと、「まわりが元フランス領なのにそこだけ元スペイン領で、政府と国民大勢がアルジェリアに移っちゃったのに85か国も国として認めてくれているけど、国の大部分がモロッコに押さえられててモロッコ人が大多数。」・・・言葉少なく語るほど語弊も出てくるけれど、西サハラの概略としてはこんな感じで。
では西サハラの食文化について、以下にまとめます。
- サハラの民の伝統文化は遊牧民の生活に基づく。モロッコ、モーリタニア、アルジェリア等と食文化の基礎が共通する。家畜(肉と乳製品)に依存し、甘いミントティーやオアシスで採れるデーツ(ナツメヤシの実)なども大事な食材。
- 砂漠気候ゆえ、少ない水で調理する料理が目立つ。クスクスや煮込み料理など。そして野菜類はあまり食べられない。
- 古くから小麦粉を使ってきた。パンを焼いたりクスクスを作る。
- 主要民族がモロッコ人でほとんどの国民が沿岸部地域に居住する。モロッコ政府支援による海水の飲料水(淡水)化、モロッコからの輸入食材、モロッコ人経営飲食店など、モロッコの食文化が定着している。野菜類の消費も増え、タジン(高さのあるフタをもつ浅い土器)料理は定番で、海産物料理も好まれる。
- そもそも西サハラとモロッコ(特にモロッコ南部)は食文化が似ているので、基本的に、1つの料理を指して西サハラ料理かモロッコ料理かという識別ができるものではない。これには昔モロッコ南部も西サハラだったことが要因の1つに挙げられるだろう。
- スペイン語が公用語であることとアラビア語(アフリカ西部方言)が話されることの両方が影響し、料理名はアラビア語とスペイン語が交ざる。
西サハラの諸都市は主に沿岸部にあって、定住したサハラウィたちは遊牧民文化に魚介類の恵みもあわせた豊かな食文化を築いてきたんですよね。でもティンドーフ(アルジェリア内の亡命政権本部/難民キャンプ地域)にいると魚はおろか、基本的な食糧支援も十分には入ってこないようです。長年の西サハラの伝統を受け継ぐ人々が10万人を超える規模の難民としてティンドーフにいると思うと、今、「本当の西サハラ料理とは何なのか」という問いに答えを出すことは簡単ではありません。
以下本稿では「西サハラの領域における食文化」を食材別に記載し、項目の1つにティンドーフでの食事情を掲載する予定です。
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