モーリタニア料理

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  • 文章を微改変しました。
  • 「アタイヤ」を「アタイ/アタイア」へ変更しました(それぞれ、أتايا、أتاي。)

【基礎情報】

国名:モーリタニア・イスラム共和国Islamic Republic of Mauritania、首都:ヌアクショット、ISO3166-1国コード:MR/MRT、独立国(1960年フランスより)、公用語:アラビア語、通貨:ウギア

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【地図】

モーリタニアはアフリカ大陸北西部にある国です。北に西サハラとアルジェリア、東から東南にかけてマリ、南西にセネガルと接します。

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◆北アフリカアラブとブラックアフリカが交ざる世界

サハラ砂漠の国モーリタニアに行くと、砂の美しさに心が奪われ、ムーア人男性の水色の衣装の美しさに目が釘付けになり、同時に、国土全域が砂漠という土地の乾燥と日中の灼熱を実感します。遊牧民の暮らし、オアシスの恵み、そしてサハラ砂漠の交易といった繁栄から培われた料理は、クスクス(粒状パスタ)にラクダ肉やヤギ肉などがあり、猛暑のもとで飲むズリック(発酵乳水割り)やアタイ/アタイア(ミントティー)は忘れられない美味です。そして、モーリタニアを南下するほどサヘルの黒人文化を感じる「食文化のグラデーション」も見ものです。

クスクス
クスクス(蒸した粒状パスタ)にラクダ肉のソス(煮込み)をかけて(撮影地シンゲッティ)

アフリカの北部に広大なサハラ砂漠があり、その西の端にモーリタニアがあります。昔から海岸部の多く(現西サハラ)をスペインが取っていて、そこはフランスも及ばなかったため、元フランス領だったモーリタニアの国土は今も不自然に海岸部が少なく、内陸部に広く突き出た形となっています。

モーリタニアの「モーリ」はムーア人を意味します。「ムーア人」という定義は一律ではなく、時代や見る視点によって様々な捉えられ方をしますが、モーリタニアの場合ムーア人はマグレブ(北西アフリカ)先住民のアマジグ(ベルベル人)と後からやってきたアラブ人が交ざった人々を意味します。7世紀にアラビア半島でイスラム教が興り、イスラム教徒がマグレブに侵攻した結果、血や文化が交ざってムーア人が形成され、彼らは今のモーリタニアの地域まで広がって今の主要民族になりました。

モーリタニアの人口統計データでは、

  1. ベイダン(アラブとベルベルが混血するムーア人):53%
  2. ハラティン(黒人の血統が混ざるムーア人):30%
  3. 非ムーア(主にセネガルと共通する肌の黒い諸民族):17%

つまりムーア人がモーリタニアの全人口の8割以上を占めています。モーリタニアは国土全域が砂漠なので、モーリタニア料理を理解するためにはムーア人の砂漠の食文化を主体に理解していくことになります。一方で非ムーアは主に南部のセネガルとの国境の川沿いに分布します。

砂漠の民の暮らしと食文化は、遊牧民として家畜に依存して暮らしたり、オアシス(砂漠の水源地)においてデーツ(ナツメヤシの実)で生計を立てたり、キャラバン(隊商:隊を組んで輸送を行う一団)として交易品(サハラ砂漠では特に塩と金)を運んだり、隊商や巡礼者が滞在する街で商いをすることなどによって形成されてきました。世界遺産になっているシンゲッティやワラッタなどはキャラバンやイスラムの巡礼者で栄えたクサール(砂漠の交易都市)です。

砂漠の気候ゆえ、乾燥し砂が舞う、日中は耐え難い猛暑が襲います。クスクス(粒状のパスタ)やミレット(アワやヒエのような雑穀)を少ない水で蒸したり、小麦粉からパンを焼き、クスクスやパンにはソスと総称される肉の煮込みを添えて食べます。農耕はしないので本来野菜に乏しく、家畜の肉や乳が主要な食材になります。デーツ(ナツメヤシの実)やアタイ/アタイア(甘いミントティー)は空腹をもしのげる貴重な糖分になります。

モーリタニアはよい漁場として知られていますが、魚介類は主要輸出産品であり、また遊牧民に嫌われていたため、国民食として根付くには時間がかかりました。魚を食べるようになったのは政府の努力と南部セネガル方面の民族の影響力の拡大によりセネガル料理が普及したことによります。

モーリタニアはマグレブとサブサハラの地理的および文化的な架け橋を形成しています。砂漠のラクダ肉のクスクスから、一方では沿岸都市の魚のリーグラまで、砂漠と海の対照的な食文化が共存する国です。
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