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- 「主食」の項を新設しました。
【基礎情報】
国名:サウジアラビア王国、Kingdom of Saudi Arabia、首都:リヤド、ISO3166-1国コード:SA/SAU、独立国(1932年設立)、公用語:アラビア語、通貨:リヤル。
【地図】
サウジアラビアはアラビア半島の大部分を占める国です。陸で接する国は、北から時計回りに、ヨルダン、イラク、クウェート、カタール、アラブ首長国連邦、オマーン、イエメンがあります。海を挟んだ隣国には、イラン、バーレーン、エリトリア、スーダン、エジプト、イスラエルがあります。
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砂漠の遊牧民の食文化と、イエメンの山岳食文化が二大源流です。
サウジアラビアは国土の多くが砂漠で、オアシスに人が定住し交易で発展して都市になりました。砂漠とオアシスの生活はサウジアラビアの食文化の第一の基盤で、ラクダやヤギを遊牧して肉や乳を食べ、ナツメヤシの実をたっぷり保存食にします。サウジアラビア料理の第二の源流は南西部の山岳地帯、イエメン人の地域です。雨が降り、緑豊かで農耕もでき、食材の種類も調理法も豊富。サウジアラビアに来て「イエメン料理が結構あるな」と思ったら突き進めて理解してほしい。イエメンは今の国境線で分断され、サウジ南西部には今もイエメン人が多く住むのですから。
サウジ料理は米におかずが乗る形式が多い。写真はイエメン起源のマンディ。(撮影地ウラー)
アラビア半島に住む人々は古くより遊牧生活を営み、広大な砂漠の土地に点々と氏族社会が生まれました。一族を守るために氏族は戦乱に明け暮れ、国は群雄割拠。強大なオスマン帝国が西部ヒジャズを領土としたときも、中部(現リヤド近郊)を拠点としていたサウド家は抵抗し、1918年のオスマン軍撤退の後、サウド家は1932年に全土を征服して統一国家「サウジアラビア」を建てました。
ところでマンディやハニーズを始め、アラビア半島各地で美味しいものを食べるとそれはイエメン起源だと言われることが多々あります。オスマン帝国時代、南はサナア(現イエメンの首都)から北はメッカのすぐ南まで広がる「オスマン帝国イエメン州」すなわちイエメン人の地域があったのですが、サウジアラビアの国境線策定でイエメン人が分断され、その結果サウジアラビア南西部には今も多くのイエメン人が住まうのです。雨が降る緑豊かな地域で、人口密度の高さは人の住みやすさを表しています。建築技術や調理技術に長けるイエメン人は美味しい料理をたくさんもっていますから、サウジアラビアに来てイエメン料理が出されても、お隣の国の影響などと安易に考えないでほしい。イエメン人の料理もサウジアラビア料理の大きな柱なのです。
なお、サウジアラビアは「サウド家のアラビア」という意味です。氏族が違っても、昔は群雄割拠でも、文化が違っても、サウジアラビアでまとまった今、国に内戦はありません。人はアラブ人として、厳格なイスラム教のもと、そして莫大な石油収益で潤う国家基盤の上で人々はまとまっています。
今、地球の人口の4分の1がムスリム(イスラム教徒)です。イスラム教はサウジアラビアのメッカとメディナで生まれた宗教で、そのイスラムの二大聖地には世界中から大勢のムスリムが巡礼で訪問します。サウジアラビアには厳格なイスラム教の社会構造ならびに生活習慣が敷かれており、人々は1日5回のお祈りを欠かさず、男性はサラブ(長い丈の服)にクフィーヤ(頭にかぶる布)、女性はアバヤ(長い丈の服)にヒジャブ(長いスカーフ)、人によってはニカブ(目以外を覆う黒い布)をまとい、お酒及び豚肉とは無縁の食生活をしています。
このような背景のもと、サウジアラビア政府は、外国人が観光で訪れることを厳しく閉ざしてきました。旅行者が入れない最たる国だったのですが、2019年に観光ビザ発給開始。サウジアラビアは開放に踏み切りました。だから、今サウジに行き、そしてリヤドやジェッダを離れて地方に行けば行くほど、この国が守ってきた文化を多く目にすることができるでしょう。日本とはまるきり違う、エキゾチックな異国の食事の数々は魅力的です。
タマル(ナツメヤシの実)とガフワ(アラブ風コーヒー)のおもてなし、多様な肉料理と米料理と豆料理、今や労働者層の代表であるパキスタン人やベンガル人の料理にフィリピン人の料理、それから周辺アラブのイラク料理やシリア料理も根付いている。ここにあれば、それらがみな総じてサウジアラビア料理を形成しているのです。
以下本稿では、食材別にサウジアラビア料理の各論を記載していきます。知る人ぞ知る、あるいは知られざるサウジアラビアの料理を、それでは見ていきましょう。
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主食 Staple
サウジアラビアの主食は米と小麦です。統計(※)によれば米を主たる主食とする日本人が1人1年あたり83 kgの米を食べるところ、サウジアラビアは57 kgと、それに見劣りしないくらいによく米を食べます。水田や小麦畑がほぼ皆無と言える土壌なので米と小麦はほぼ全輸入なのにこんなにも米を食べる理由としては、インド、メソポタミア、ペルシャなどの米どころと交易で濃厚に接してきたことで米料理が定着していること、南部の主要民族であるイエメン人が米をよく食べること、それからインド人、パキスタン人、フィリピン人など米をよく食べる国の人々が働きに来ていてサウジアラビア人も彼らの食を食べる機会があることなどが挙げられます。
※FAO Stat(2015年)
サウジアラビアに行ってサウジアラビア料理たる米料理を探すと、ものすごい高確率で、ステンレスなどの大きな平皿にスパイシーごはんと美味しい肉や魚が乗るタイプの料理に出会います。調理法の違いや地域の違いなどにより、مضغوط(マドグート、圧力鍋のお肉使用)、كوزي(クージ、お肉とスパゲティーとゆで卵が乗る)、مندي (マンディ、土中蒸し焼き)、حنيذ(ハニーズ、土中蒸し焼き&特殊風味付け)、مدفون(マドフン、蒸し肉使用)などなど。なおカブサكبسةはサウジアラビア国民食として大変有名ですが、単一の料理を指すのではなく、広義には米に肉が乗るこれら何タイプもの料理の総称です。
カブサとマクブースは、中身が同じだけでなく、名前も同じなのだと確信しました。
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お茶やコーヒー Tea & Coffee
サウジアラビアでは、近代的な家に住んでいても、かつては遊牧民の移動式住居だった天幕を庭などに張る人が少なくありません。客人や親族のもてなしや家族の語らいの場とする文化を受け継いでいます。そんな天幕に招かれたら、きっとガフワ(アラブ式コーヒー)とタマル(ナツメヤシの果実)のもてなしを受けるでしょう。ガフワは焙煎が浅くて黄色い色をしています。カルダモンやクローブですがすがしい風味をつけ、砂糖やミルクを入れずにいただきます。ギシルはコーヒー豆が包まれていたサヤ(※枝豆を思い浮かべると豆とサヤがイメージしやすい)を炒ったもので、コーヒーに似た風味がします。
サウジアラビアにもシャイはあり、砂糖を濃く入れて甘くしていただきます。レバント(シリアなど)のアラブ人のもてなしといえばシャイ(紅茶)ですが、ガルフ諸国のもてなしの筆頭の座はやはりガフワにあるという対比は興味深いです。
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