【基礎情報】
国名:オマーン国、Sultanate of Oman、首都:マスカット、ISO3166-1国コード:OM/OMN、独立国(1650年ヤアーリバ朝全土統一)、公用語:アラビア語、通貨:オマーンリアル。
【地図】
オマーンはアラビア半島の南東にあり、陸では西にイエメン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦と接しており、アラブ首長国連邦を挟んでオマーンの飛び地があります。海を渡った対岸にはイランとパキスタンがあります。
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◆香辛料の香り高き、かつて海の帝国を作ったイスラムの料理
オマーンはきらびやかで素敵な国です。白亜のモスクや輝く王宮、それから古代都市のフォートも道行く男性の白い装束も素敵です。オマーン料理は酒や豚肉を忌避するイスラムの料理で、美食で評判のイエメン由来の料理や、シーフードが人気の湾岸ガルフの料理や、アフリカと繋がる料理にインド由来の旨いカレーもある。ああ忘れちゃいけない、乳香を焚きながらアラブコーヒーを飲み、暑い砂漠気候の疲れをデーツ(ナツメヤシの実)で癒すその至福の瞬間・・・。オマーン料理を食べにオマーンに行くのなら、短い日程でも食べるべきものがたくさんありますよ。
オマーン料理はよく絨毯の部屋でビニールシートを敷いて提供されます。(撮影地サラーラ)
オマーンはアラビア半島にあるインド洋に面した国で、古い時代から主に西のイエメンから移動してきた人々が住み、各地で部族社会を作る地域でした。国土の大部分は砂漠で残りは山がち、古きオマーンは辺境です。しかし他のアラブ諸国にはない華やかな歴史がある。それはスワヒリ文化を作り上げた海洋帝国の黄金史です。すごいんですよ、冬の風は南西に、夏は逆方向に吹くので、半年かけて1往復するならダウ船(帆船)で風力で長距離を移動できるのです。オマーンはインドとアフリカの双方からアクセスが良く、貿易港としての重要性を古くから獲得していました。
大航海時代にはポルトガルに占領されるも、内陸で小競り合いをしていた各部族は打倒ポルトガルの目的のもとで統一が進み、オマーン帝国ができ、パキスタンからモザンビークの沿岸部まで広大な領土をもつ大帝国が完成し、王はお気に入りのザンジバル(現タンザニアの沖の島)を首都にしました。ザンジバルは欧州列強が黄金を積んでも欲しがった「香辛料」を栽培する夢の島。これまた儲かる奴隷売買にも力を入れ、アフリカには高度な文化 -それはイスラムとアラブ- がもたらされ、アラブとアフリカの融合はスワヒリ文化となり、繁栄しました。
上の王が没する(1856年)とオマーンは衰退へ。英国の保護国(1891年)-でも実態は保護じゃない- になりザンジバルを失って国土は縮小。「アフリカの年」(※)でアフリカは揺らぐ頃は隣国の南イエメンも独立(1967年)するわでオマーン内部も反乱で荒れます。油田が見つかって(1957年)石油輸出開始(1967年)後もオイルマネーは国づくりには使われず貧乏国のままですから不満もつのるものです。貧しかったんだから。
※アフリカの年:アフリカ大陸で17か国が独立した1960年を指す。
そこで改革派の王子がクーデターで国王(実父)を国外追放し(1970年)、彼が王に即位後は英国とも手を切り、今の安泰かつグローバルなオマーンが急速に作られていきます。父の気持ちも分かるんだけどね。世界の混乱から国を守りたくて外のものの流入を制限したけど、その鎖国で国が疲弊していたのも事実でした。
湾岸諸国は移民が多く、オマーンにも非アラブ人が多数います。南アジア(インド・パキスタン等)出身労働者やかつての支配地のアフリカ人(オマーン人との混血含む)などです。オマーンで安く食事をしようとすると南アジア料理にぶつかるのがオマーンの旅。それでいいんです。今やインドやパキスタンの料理はオマーン料理の主要な柱の1つです。では「オマーン料理を探そう」と頑張るとしょっちゅうイエメン料理にぶつかるのもオマーンの旅。それでいいんです。オマーン人の主な出自はイエメンにあり。伝統文化を共有しています。私がオマーン料理を好きな理由は、香辛料の香り高き美味しさがあるからで、料理の向こうにスワヒリ文化とザンジバルの繁栄を築いた黄金史が見えるような気がするからです。なお今もオマーン人は非アラブ人との結婚は原則禁止され、「アラブ人」ないし「オマーン人」が温存されています。民族が残ることは食文化の保存にも貢献しています。
長くなりましたが、歴史背景を知ると、その国の料理に理解が深まり、オマーン料理の魅力をつかみやすくなり、ひいてはオマーン料理を美味しく食べることができますよね。それが本稿の狙いです。以下各論では食材別に各論を記載していく予定です。
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