侯爵
【基礎情報】
国名:インド共和国、Republic of India、首都:ニューデリー、ISO3166-1国コード:IN/IND、独立国(1947年英国より)、連邦公用語:ヒンディー語、連邦準公用語:英語、通貨:ルピー。
【地図】
インドは南アジア最大の国…というか、「南アジアと言えばインド」というくらいインドは広い国です。東部ではインドがバングラデシュを囲い、北西にパキスタン、北にネパール・ブータン・中国、東にミャンマーと接しています。海を隔てた南にはスリランカとモルディブがあります。
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◆インドといえばカレー。マサラ(香辛料)を使う数々の料理
インドは広い。世界第6位の面積の国は世界第1位の人口をもちます。インド料理の最大の特徴は料理に多種多様なマサラ(香辛料)を使うことにあります。クミン、ターメリック、こしょう、クローブ、カルダモン、ナツメグ、シナモン、チリ(唐辛子)などなど。それが料理により、地域により、人により、使う香辛料の種類と量が変わる。日本ではどれをとってもカレー味とかスパイシーという表現で丸められてしまうところ、インドに行くと無数のカレーに出会い、香辛料の奥深さ&幅広さに感動し、「カレー」というイメージが激変します。
インドではセットメニューが定番。複数の主食やカレーの盛り合わせが素敵です(撮影地バピ)
インド料理に詳しくない方でも「インド料理とは」の答えを簡単につかむためには、以下のように歴史や背景を学び、食文化を捉えるとよいでしょう。
およそ5000年前より栄えていたインダス文明は、今のインドやパキスタンの地域に存在していました。インドの歴史は長く、古くよりヒンドゥー教の経典(ヴェーダ)やカースト制度(身分制度)が作られ、それは何千年も経過した現在も生活習慣として生きています。
今のインドの土地には多数の民族が居住しており、そこを、主に北部を中心に広く支配したのがイスラム王朝のムガール帝国でした(1526~1858年)。ムガールの時代は大航海時代と重なるのでムガールと英国がつながるわけですが、中世期に英国がスペイン無敵艦隊を倒した(アルマダ海戦、1588年)ことで英国は富と香辛料を求めて世界に乗り出し、インドでの勢力を拡大していきました。1600年にカルカッタ(現コルカタ)に東インド会社を設立。東インド会社は最初は商社でしたが徴税権を得てからはインドにおける行政上の支配者になっていきました。日本語名が「会社」なので誤解されていますが、東インド会社は「政府」だったことが重要です。
東インド会社の政治に対する民衆の不満はインド大反乱(セポイの乱、1857年)という独立運動を起こしますが、反乱は失敗し、ムガール帝国の消滅や東インド会社の崩壊を招きます。英国政府は「会社任せではだめだ」と自ら乗り出し、現在のインド・パキスタン・バングラデシュの土地を含めて南アジアのほとんどの地域を掌握して広大な英領インド帝国を形成しました。ただしポルトガル植民地(ゴア)など英領にならなかったわずかな例外はあります。そういう土地では独特な料理が残っており、食の点ではゴアの「ポークビンダルー」(酢が利いたカレー)はとても有名ですね。
「藩王国」とはこれまたピンとこない日本語名が理解を邪魔しますが、英語の「Native states」(先住民国家)や日本語別名の「土侯国」なら、インド各地に古くからある土着の自治体であることがイメージしやすいです。インド帝国で、英国政府の直轄地域は土地面積の半分程度で、残り約半分の地域では500とも600とも言われる「藩王国」が自治権の継続を認められて(実質傀儡ではありますが)地域の内政を行っていました。それは文化の保持にも役立ちました。有名な藩王国にはハイデラバードやジャンムーカシミールがあります。食の点ではハイデラバードビリヤニやカシミールのローガンジョシュはとても有名ですね。
インド独立時(1947年)、宗教対立からインドとパキスタン(※当時パキスタンと呼ばれたのは現在のパキスタンとバングラデシュをあわせたものである)に分離して英国から独立しました。そもそも各地でヒンドゥー教徒やイスラム教徒、その他仏教徒、シク教徒、キリスト教徒、ジャイナ教徒、etcが交じっている状況において、宗教で国境線を引いて国を分離するなんて土台無理な話。インド独立の父と呼ばれるガンディーはオールインディアとして異教徒融合の形で独立したかったのですよ。しかし無茶な独立をしたかったのはパキスタンの側で、パキスタンとしてはムガールの名残を、イスラムの力を残したい、だけどオールインディアになるとヒンドゥー教徒に飲み込まれてしまう、と、そのような思惑がありました。インドとパキスタンが分離するときは悲劇で、ヒンドゥー教徒はインドへ移動し、イスラム教徒はパキスタンへ移動することで、1500万人もの人々が難民となる大惨事でした。
結果的には、この宗教的な民族浄化により現在インドはヒンドゥー教徒が8割、パキスタンとバングラデシュはイスラム教徒が9割という、かなり単一宗教国家に近づく形になったのです。
インドは多民族国家と言われますが、多民族国家の形成要因は上に書いた歴史を総括すると、1)もともと多数の民族がいたこと、2)英国が南アジアを広く取ったこと、3)英領インド帝国時代も藩王国として民族団結が保持できたこと、4)英国が撤退するときに広大な領土ごと独立できたこと、に依ります。多民族国家とは多数の言語や文化が交じるものですから、食の点ではインドの様々な土地の郷土料理のバリエーションが豊富です。地方めぐりはインドの食の旅の大きな魅力です。
しかし実際にインドに行くと「多民族」以上に感じるのが「均一感」ではないでしょうか。それは「インドのマジョリティーがヒンディー語・ヒンドゥー教」という一体感。家庭ではそれぞれの地域の言葉が話され、南部ではタミル語などがかなり優勢であるとしても、国民はかなりの人が公用語のヒンディー語を話し(あるいは理解し)ますし、日本人相手には英語で話すことがほとんどで、民族差異の基本は言語差異なのですから、日本人はそうそう多民族性に気付きませんよ。料理名はかなりヒンディー語(公用語)や英語(準公用語)でまとまっている上、そして人口の8割がヒンドゥー教徒ゆえにヒンドゥー教で忌避される牛肉料理は通常は見かけず、肉類はどこに行っても鶏・羊・山羊。さらに料理は香辛料(スパイス)、油、乳製品、豆類が多用され、カレー類、ダル、サモサ、チョウメン、甘い菓子類など、どこに行っても共通する物を見かける。またヒンドゥー教徒は「乳菜食主義者」(肉と魚は不可だが乳製品は可な菜食主義者)が多いのと、農業国なので、ベジ料理(野菜料理)と美味しい乳製品(ラッシーなど)が普遍的に根付いているのもインド料理の全土普遍的な特徴です。
なお菜食主義はヒンドゥー教や仏教の教えに含まれることですが、実行するかしないかは個人が決めることです。この点で、ハラルを宗教が決めるイスラム教とは根本が違います(※)。
※ジャイナ教の菜食主義は宗教によるものであるが教徒が人口の1%に満たないごく少数であるため、インドの菜食主義と言う場合は通常ヒンドゥーの慣習が語られる。ここでも、インドの最大宗教と2番手の比較としてヒンドゥー教とイスラム教の対比を記載することを目的とした。
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「どこに行っても何度行っても新しい料理に出会う底知れなさ」という壮大な魅力を感じる国は、中国とインドがダントツです。
インドで食を学ぶアドバイスとしては、まずはインドのマジョリティーである「ヒンディー語・ヒンドゥー教」の地域の料理を収集し、ヒンディー語の料理名の意味を覚えてみましょう。中~北部の低地がいいですね。味は地域の違い(乾燥地と多湿地、沿岸部と内陸、寒地と暖地)、人による違い(低カーストと高カーストでは料理が変わる)、店による違い(ベジ屋とノンベジ屋、高級店と安飯屋では料理が変わる)などがありますが、典型的なインド料理を次々に体験して、メニュー表をそこそこ見れるようになっていきましょう。
そうしたら、南部のドラビダや北部山岳のチベタンの料理を食べたり、西部ラジャスタンやグジャラートで美食に出会ったり、ゴアのビンダルー、ハイデラバードやラクナウのビリヤニ、それから秘境ミゾラムの謎の料理といった地方めぐりをして特色料理を食べましょう。このように、「ヒンディー・ヒンドゥー」を土台にしてから幅を広げると、理解と知識を積み重ねながらインド料理を学んでいくことができます。
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