【基礎情報】
国名:赤道ギニア、Equatorial Guinea、首都:シウダデラパス、ISO3166-1国コード:GQ/GNQ、独立国(1968年スペインより)、公用語:スペイン語(第一公用語)・フランス語・ポルトガル語、通貨:中央アフリカセーファーフラン。
【地図】
赤道ギニアはアフリカ大陸本土の一部分(リオムニ)とカメルーン沖の比較的大きな島(ビオコ島)、あとは小さな離島から構成されます。大陸本土は北にカメルーン、東と南はガボンに接しています。本土と最も遠い離島の間にサントメプリンシペがあります。
▲目次に戻る
◆大陸部のジャングルと島嶼部の大海。地理的な二面性が生んだディープな黒人食文化
いやあ、本当に赤道ギニア料理はディープです。市場で売られている謎の肉・・・サル、アルマジロ、オオトカゲ、ワニ・・・見たら思わず「キャー」と声が出てしまう。またアフリカの独立国で唯一の「スペイン語が公用語」の国で、周囲のどの国から入国してもそこだけ言葉が違い、料理名も違ってくるから、一層独立した世界を感じます。赤道ギニアは島と大陸に二分される国で、人口の9割近くがジャングルから出てきたファン族ですから、赤道ギニア料理を理解するならまずは森の民の食文化を理解しましょう。それは我々日本人に未知なる食材が多い、狩猟採集民族の、ブラックアフリカの美食です。

青空市場の肉売り場。中央では生きたナイルオオトカゲが舌を出している(撮影地バタ)
国名は「赤道ギニア」でも赤道直下に国土はありません。ギニアという用語は中世期にヨーロッパ側から見て「サハラ砂漠のむこう」という意味で使われ、フランス領ギニア(現ギニア)、ポルトガル領ギニア(現ギニアビサウ)、スペイン領ギニア(現赤道ギニア)とアフリカにはいろんなギニアが出来ました。赤道ギニアが独立(1968年)するとき、いち早くフランスからの独立を達成したギニア(1958年)が既にあったので、「それよりも赤道に近いギニア」という意味を付して赤道ギニアと名付けられました。
赤道ギニアは小さな離島を除けば主に2つの領土からなり、一つは島(ビオコ島)、もう一つはジャングルだらけのアフリカ大陸本土の一領域(リオムニ)です。ただビオコ島はカメルーン至近の島で、ビオコ島とリオムニはあまり近くない。なぜこのような領土形態になったのかを歴史の面から理解すると、食文化の理解も深まりますので、次は歴史を解説します。
かつてスペインとポルトガルが、地球を2分して所有するための分界線を作りました(1494年トルデシリャス条約)。誠に勝手な線引きですが、絶対的権威であるローマ教皇が教書(=お墨付き)を与えたので他国は逆らえず、2国のやりたい放題が実現します。分界線の1つは南米とアフリカを分けるように大西洋上に敷かれたので、基本的には「南米はスペインのもの、アフリカはポルトガルのもの」となりましたが、ポルトガルはのちに南米のうち東に出っ張った部分(現ブラジル東部)が自国側に入っていることに気づきます。ポルトガルはブラジル東部に支配拠点を作り、さらにそこから内陸つまりスペイン領部分に進出して支配を拡大したので、実態に合わせた修正として領土交換が必要になりました(1778年エルパルド条約)。もっとブラジルがほしいポルトガルに対し、スペインは「じゃあアフリカのどこかをちょうだい」と言い、ビオコ島を受領します。
1700年代末のスペインといえば強かった栄光から200年も過ぎ去った弱い国。ちなみにスペインが最強の帝国だったのは新大陸発見(1492年)&レコンキスタ完了(1492年)~ボリビアでポトシ銀山発見(1545年)~無敵艦隊が英国に敗れるアルマダ海戦(1588年)くらいのわずか100年間だったんですね。で、1700年代末にビオコ島に自国民を送り込んで支配を始めるも、自分らが持ち込んだ黄熱病で先住民のブビ族及び多くのスペイン人が病死し、維持不能となって撤退してしまいます。
英国のほうは、世界の覇者スペインに戦勝(1588年)した勢いに乗り、カリブ海や北米に植民地を作って世界最大の奴隷貿易大国になります。ただ奴隷制度が活発になるほど奴隷反対派の人権運動も大きくなるもので、結局は「奴隷貿易禁止法」成立(1807年)。英国はアフリカで奴隷貿易を取り締まる「正義の基地」を作るべく、放置されていたビオコ島に拠点を作り、ブビ族の支配を開始(1827年)。でも結局スペインからの土地買取に失敗して断念し、活動拠点をナイジェリアに移してビオコ島から撤退します。
英国を去らせたことでスペインがビオコ島を立て直すことになり、カカオ農園で儲けるべく本格的な植民地経営に臨みました。実際カカオは良い収入源になりましたが、強制労働に多くの島民(ブビ族)が従わなかったため労働力が不足し、アフリカ大陸のどこかから労働者を欲しがります。本当は最寄りの海岸の部族と契約できたらよかったんですけど、ビオコ島の最寄りの海岸はドイツ領カメルーン。ドイツは1871年に統一達成して巨大な軍事大国となっていたため弱者スペインはドイツ様には手を出せず。そんな1884年の夏頃、ドイツは「アフリカ分割のルールを決めよう」とベルリン会議を起こす行動を起こし、スペインは焦ってちょっと離れたところにあるリオムニ(現在の赤道ギニアのアフリカ大陸部分)に駆け込んで沿岸部にいたンドウェ族(リオムニの海岸民族群の総称)と契約を結び(1884年9月)、「ベルリン会議によるアフリカ分割の決定」(1885年2月)で正式にビオコ島とリオムニの2領土を獲得できました。ただリオムニ内陸のジャングル部族(ファン族)にはゲリラ戦で負けっぱなしで内陸部までは掌握できませんでしたが、40年後、当時の最新武器で蹂躙して全土を掌握し「スペイン領ギニア」という統一国家がようやく成立(1926年)。さらに40年後、地元住民が「赤道ギニア」としてスペインからの独立を勝ち取った(1968年)ときも、この「島と大陸の組み合わせ」を継続することになりました。
要は、「スペインはポルトガルからビオコ島をもらうも、やっていけなくて手放して、英国が買い取ると言ってくれたけど断ったので、島の支配を再開した。大陸部分も欲しくなったが近場にはドイツ様がいたから遠めの土地に手をつけざるを得ず、そうしてスペインが島と大陸を得るも、部族反発から何十年も苦労してようやく1つの国にした。最終的にそれが独立国になった」のが、赤道ギニアの歴史の概要です。
民族と食の話をしましょう。
現在の赤道ギニアの人口構成はファン族が86%! ブビ族7%やンドウェ族(大陸部沿岸部民族の総称)4%は少数派です。これは国際的な最新データとして使われているCIAの1994年データです。なぜ国勢調査は近年も行われているのに民族データは1994年のままかというと、赤道ギニアではファン族が政治の実権を握っており、民族問題からの転覆を避けるために政府が意図的に詳細統計の公表を避けているからだそう。
ビオコ島のブビ族は農業(ヤムイモ栽培など)、狩猟、漁業を、リオムニの海岸部族であるンドゥエ族(ベンガ族やコンベ族など)は漁業や航海に優れる民族でした。リオムニ内陸ジャングルのファン族は1600年代~1800年代の頃にカメルーン北部(アダマワ高地)から南下してきたバントゥー系民族。高い戦闘力を誇り、狩猟採集民族としても高い腕を持っています。あとは、ジャングルの少数民族であるピグミー(背がとても低い矮小民族)は13万年前からここにいるとか。
アフリカの国といえば多民族国家が多いところ、赤道ギニアは人口の9割近くがファン族ですから、安易に多民族と言うよりも「ファン族主体の国家」と捉えるほうが良いです。赤道ギニアとして独立(1968年)するときファン族はスペイン人を完全追放し、ファン族で政権を取り、圧倒的なファン族社会を作ってきたのです。だから、赤道ギニア料理を理解するにはファン族の料理、すなわちジャングルの森の料理を軸に置いて理解することが重要です。
赤道ギニアは熱帯の国で、主食にはユカ(キャッサバイモ)やプラタノ(食用バナナ)を様々な形状にして食べます。おかずは、ヤマアラシ、ネズミ、ワニ、トカゲ、ヘビ、サル、シカ類などの狩猟の肉(ブッシュミート)が目白押し。巨大カタツムリは私も食べましたが絶品の美味しさですよ。ちなみに1990年代に旅行した私の夫は世間一般的な家畜肉(鶏肉・豚肉・牛肉)にまったく出会えず、いつも謎の肉を食べていたとのことで、店主に尋ねるとシカ肉と返ってくることが多かったそうです。
またリオムニも島嶼部も海岸線に恵まれているので、魚やイカやエビなどもよく食べられています。今は鶏肉・豚肉・牛肉も流通しています(豚肉と彼らが呼ぶのはイノシシ系の狩猟肉かもしれませんが)。主食にはお米やパスタやパンもたくさん食べられています。特に1990年代の油田発見以降、経済が急速に潤った一方で農業の担い手が減少し、アジアの米を大量に輸入することで主食がかなり米にシフトしています。伝統的には稲作をまったくしてこなかった国なので現在の米食頻度の高さは驚異的です。
政治的に腐敗していると言わざるを得ない国で巨大油田が相次いで発見され、腐敗政府が巨万の富を持ってしまった。だから国民の貧富の格差は哀れなほどに大きく、そこそこ国内を移動して旅をすると、電気も水道もない田舎から無駄にきらびやかな見栄張る街角まで、国の表と裏を痛いほど見せつけられる。田舎でも都会でも腐った役人と戦いながら旅をして、なのにスペイン語が話せないと言葉が通じず、なんだかアフリカという宇宙のブラックな星に来たかのよう。疲れた心を救うのはどこに行っても食べられるお米料理となぜか大量にいる中国人の料理、ときにアラブ、いずれにしてもアジアの食材は結構あります。そしてそれら以上に心を喜びで満たしてくれたのは、ユカやプラタノや、野生肉や海の魚を使った、ここに長らく根付く伝統料理でした。化学的なものに頼らない、食材の力強い旨味がストレートに味わえる土着料理の美味しさは忘れられません。
以上、赤道ギニア料理を理解するためのイントロダクションを執筆しました。・・・私の赤道ギニア愛はとっても大きいのですよ。アフリカで一番好きな国かも。オオトカゲでもヤマアラシでも、謎の肉をまたここで食べたいですね。
▲目次に戻る
