【新着】
- 「本文はじめ」の項にナミビアの背景を多く追記し、全面リニューアルしました
【基礎情報】
国名:ナミビア共和国、Republic of Namibia、首都:ウイントフック、ISO3166-1国コード:NA/NAM、独立国(1990年南アフリカ共和国より)、公用語:英語、通貨:ナミビアドル。
【地図】
ナミビアはアフリカ大陸南部の大西洋に面する国で、北はアンゴラ、東北はザンビア、東はボツワナ、南から南東は南アフリカ共和国に接しています。
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◆オバンボ族などの黒人文化を底流に南アやドイツが交差する多層的な食文化
「Namibia is arid」(ナミビアは不毛の地)・・・英語の旅行ガイドブックで見かけたその一言が心から離れません。ナミビアは砂漠の国。人が住める場所であっても乾燥の激しい気候に覆われ、年間300日が晴天。ここは世界で最も人口密度の低い3か国のひとつです。人口密度が低いということは人が住める場所がそれだけ少ないということ。それでも過酷な大地にしっかりと根を張って暮らす人々がいます。人口の98%が黒人系でそのほとんどがバントゥー系民族です。よってナミビア料理はバントゥーの典型的な黒人料理が基礎になり、歴史の中で強く関わってきたドイツ・南ア・アフリカーンスの料理が混交しています。

ナミビア-アンゴラ国境地帯でヒンバ族の女性がオシフィマを作る(撮影地オフングムレ)
南部アフリカの最古の先住民はコイ族とサン族です。両者は別の集団ですが、集合名詞「コイサン」として、英語・日本語ともに一般的に使用されています。そのほかダマラ族(出自不明の古代民族)も含め、息を吸いながら声を出す(!?)独特の舌打ち発音をする人々で、南ア(南アフリカ共和国)、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエなどには今もコイサン族が少数派ながら居住しています。また「バントゥー」とはいわゆる「典型的なアフリカの黒人」で、ナミビアでは紀元前後より北方からバントゥー系民族が移住してきたことで現在ナミビアの人口のほとんどがバントゥー系。その一派であるオバンボ族(16世紀に到達)が現代ナミビアの最大民族です。降雨が少なく不毛な土地にも適合して、彼らは遊牧や狩猟生活を営んできました。
ナミビアの土地はアラブ交易(スワヒリ)から遠く、欧州から遠く、早くから国際都市となったケープタウンからも遠く、砂漠がちで外の目からは土地に魅力がなく。おかげでナミビアの黒人は他のアフリカ黒人と違い、遅くまでどの勢力にも領土を侵されずにきました。
15世紀の大航海時代よりアフリカの欧州植民地支配争奪戦が始まります。列強第一波は大航海時代の幕明けとしてポルトガル・スペイン、第二波は英国・フランス・オランダです。なのにナミビアは魅力がない土地ゆえに遅れて入ってきたドイツが取ることになります。
ドイツの話をしましょう。ザクセンとかバイエルンとか多くの小国が集まる地域において1862年にプロイセンの首相となったビスマルクは短期間のうちにデンマーク・オーストリア・フランスに戦勝してドイツ全土をプロイセンの支配下に統一(1871年)し、ドイツ帝国(帝政ドイツ)を作りました。彼の、争いのよそで根回し気回しする手腕は歴史家も賞賛する「シゴデキ」です。下手なリーダーならもっと領土を欲張って自滅しがちですが、ビスマルクは「海外進出なんて大赤字になるし英国やフランスを怒らせると戦争されるからやだ」とアフリカに目を向けませんでした。しかし国内でエリート(商人ら)や世論(民衆)から「英国やフランスのように世界から搾取して裕福な一流国になるべきだ」と突き上げを食らいます。1800年代後半といえば米国では「大草原の小さな家」の時代で、新天地を求めて大量にドイツ人が海外流出する時代。下級商人のリューデリッツが「アフリカの空白の地にドイツ人の移住先を作って大儲けしよう」と、帝国主義を掲げて南西アフリカ(現ナミビア)に交易拠点を築き、先住の黒人と土地のインチキ買収成功。これをビスマルクが公式に保護領と宣言して事実上のドイツ植民地「ドイツ領南西アフリカ」が誕生しました(1884年)。ナミビアでは都市名や地形の名称に今も「リューデリッツ」の名が残っています。ちなみに、アフリカに遅れて入ったドイツが保護領(植民地)にした地域は4つで、1884年にトーゴ、カメルーン、南西アフリカ(ナミビア)、1885年にタンザニア本土。また先の「シゴデキ」のビスマルクは欧州首脳をドイツに集めて「アフリカの土地取りルール」を決めドイツの後発参入も穏やかに認めさせたので問題なし。これが有名な「アフリカ分割・ベルリン会議」(1884年)です。
南西アフリカ(ナミビア)は南アとアンゴラの間にあり「ダイヤモンド産出への期待」が強く最も多くのドイツ人が入植しました。ドイツ人は先住民を不当に扱い、法的差別を敷き、虐殺を行いました。特に北部ヘレロ族(バントゥー系黒人)は当時最大民族だったのに8割が殺されました。住みやすい土地はドイツ人が、住みにくい土地には黒人が住むという図式もできました。ちなみに標高1700 mで泉があって水が出て涼しく快適な首都ウイントフックはドイツ部隊が建設した街です(1890年)。
1914年に第一次世界大戦勃発。ビスマルクがあれだけ周到に張ってきた戦争のブレーキを後継者のビルヘルム2世(ビスマルクをクビにした人)が外してしまった。ドイツが大変なときに英国は自国領(植民地)であった南アフリカ連邦にドイツ領南西アフリカ(ナミビア)を軍事占領させました(1915年)。第一次世界大戦の終戦(1918年)に伴う講和条約(戦争終結や戦後処理のための条約、この場合はベルサイユ条約)において敗戦国であるドイツはすべての海外植民地を失い、1920年「南ア領南西アフリカ」が正式に始まりました。ドイツ撤退と委任統治は日本が南洋庁を取得する基礎としても重要ポイントですね。なお用語として「委任統治(mandate)=第一次世界大戦後国際連盟に頼まれて国づくりを行うこと」と「信託統治(trusteeship)=第二次世界大戦後国際連合に頼まれて国づくりを行うこと」なので一文字の違いにも注意してお読みください。
南アがナミビアに行ったのは国づくりというより、白人政権にとって都合の良い支配地域として扱ったことでした。敗戦によりドイツ人が去って残るは黒人の国なのに白人(アフリカーナー;オランダ系移民の子孫)が送り込まれて白人権力の地方州とされ、地域開発や住民福祉は進まず、アパルトヘイト(黒人差別政策)が強制され、黒人は土地も権利も奪われ大量の黒人奴隷が発生して苛酷極まる惨状です。第二次世界大戦後(1945年)、国際連合が出来て(1945年)国際連盟が終了(1946年)し、委任統治支配は国際連合の信託統治支配へ移行、つまり国連が「国づくりを引き続きよろしく」と言って制度が継続されます。ただ南アだけが信託統治の受託を拒み、以後「国際法違反の形で」不法占拠を始めました。国際的にも大問題となり1966年よりナミビア独立戦争も勃発し「もうむり」と判断した国連はこの地域に「ナミビア」の正式名称を与えて国連の直轄統治にしようとしますが、南アは反発して不法占拠続行。南アの不法占拠は1990年まで続きました。
ナミビアは1990年独立と世界的に有数の「新しい国」です。独立以来一貫して黒人系の政党が政権を担っており、白人支配(アパルトヘイト政策)が続いていた南アフリカ統治時代とは完全に決別しています。現在アフリカの中ではトップクラスに汚職が少ないクリーンな国として経済的にも躍進中です。
ここまでナミビアを理解すると、食文化も理解しやすいですよ。
- 国土は砂漠が多く乾燥し牧畜や遊牧の文化が残る。肉類や乳製品への依存度が高い一方で、農作物は乾燥に強いものが中心となる
- 黒人人口比率が96%と極めて高くナミビアは黒人の国と言える。よってナミビア料理は黒人料理が主体である。土着の黒人料理として、雑穀(キビ・モロコシ)、野草、イモムシ、それから遊牧文化として肉料理(牛・ヤギ・羊)や加工乳など
- 第一次世界大戦前はドイツ領でドイツの影響が残る。ドイツ人経営の宿やパブがありドイツ料理は特に都会のナミビア人には身近である
- ドイツの縁でナミビアのビールは美味しい。国内最大手のビール醸造所はドイツ16世紀の「ビール純粋令」(余計なものを入れずに作る)を遵守していることで有名
- ドイツ撤退後は南ア領であった。今も経済的に南アとのつながりが強大で、南アから輸入される食材・調味料・調理道具にあふれているため、料理が南ア味になる。歴史を知らなければ単なる輸入品に見えるが、これは約75年にわたる南アフリカ統治が今ナミビアに残す物である
- 白人支配者層として南アから大勢のアフリカーナー(オランダ移民子孫)がやってきた。アフリカーナーは荒野の開拓者とも知られ、アフリカーナー料理は屋外調理の要素が強い。ブラーイ(バーベキュー)などはナミビア料理の筆頭格である
- アフリカーンス(アフリカーナーの言葉)が多くの料理名につく。パップ(とうもろこし粉を湯で練った主食)、ブラーイ、ポイキーコース(鉄鍋煮込み)、ビルトン(スパイシー干し肉)など
- 黒人もアフリカーンスも野菜をあまり食べないので、総じてナミビア料理は野菜料理が少ない。魚もあまり食べないので、ナミビア料理のおかずは肉肉しい
ナミビアは一見不毛な土地でも、ダイヤモンドもそのほかの高価な鉱物も採れ、石油もあります。隣国のアンゴラや南アのように裕福な国になれるポテンシャルはあるのに、今も鉱山権益の一部を南ア企業や南ア政府が保持し、田舎の小規模商店でさえ南アからの輸入品が溢れているなど、独立国となった今もなお経済的な南アの支配下とも言えます。
ナミビアに観光に行く人は、首都ウイントフックに到着してから無人のナミブ砂漠観光に出るケースが多いですね。でも、首都でちらほら白人を見たり大型スーパーマーケットでほぼ輸入の野菜を見ても面白くない。上に黒人人口比率が96%と書きましたが混血を入れれば黒人比率は98%を越えます。その大部分は上述のオバンボ族なので、現地に行ったらオシワンボ語(オバンボ族の言葉)でいろいろ料理名を覚えたいですね!!オシフィマとか、オンビディとか、オニョカとか、彼らの言語特徴として名詞がよくオから始まるのも面白いです。
ナミビア史において黒人が白人に虐げられた歴史は悲痛ですが、白人層が黒人文化にない美味しいものをたくさん導入してナミビアの食文化を豊かにしてくれたのも事実です。だから、私はナミビア料理の理解を深めるには、北のオバンボと南のアフリカーンスの両面から料理体験を増やしていくのが良いと思っています。
主食 Staple
ナミビアの主食は、穀物を粉にして湯で練ったもので、オシフィマ(またはオシシマ)と呼ばれます。ナミビアは北部に人口が多く、北部民族の言葉では語頭に「オ」をつけることが多く、伝統料理も地名も「オ」で始まるものが多いです。オシフィマは、語頭のオが弱く「シフィマ」(シーマ)にも聞こえます。でもこう聞こえたとき、マラウイやザンビアで「シマ」と呼ばれている同様の食べ物と同じ名前だったのか!!と気づくのです。
オシフィマは、英語でポリッジ、アフリカーンス(アフリカーナーという南部アフリカに居住するオランダ系住民の言葉)でパップと言います。南アに近い南部はパップと呼ぶことが多くなります。補足ですが、オランダ語で「Pap」はマッシュしたものやお粥状のものという意味です。
ここで気を付けるべきことは、こういうアフリカの主食は、調理法の名称であるということです。エチオピアのインジェラも、ケニアのウガリも、ナミビアのオシフィマやパップも、材料を特定した名称ではなく、穀物の粉を主食として食べる形状に調理したものの名称です。
ナミビアのオシフィマは、主にはマイス(トウモロコシ)(ミーリー(トウモロコシ粉)で作られますが、トウモロコシは乾燥にあまり強くないので、灌漑農業を導入しないようなところで「伝統的」なオシフィマの材料となるのは、マハング(トウジンビエ=パールミレット)です。ソルガム(イネ科に属するタカキビの一種)で作るオシフィマもありますが、マハングのほうがソルガムよりも乾燥に耐えられるので、主たる国民食の座は、マハングで作るオシフィマといった感じです。ただ、北部の小さな町にもトウモロコシ粉の大袋が売られる時代ですので、随分とトウモロコシ粉が普及しているようにも見受けられます。また、南アからの物流の影響が強くなる首都や南部地域ではトウモロコシ粉が普遍的に流通していて、ミーリーパップ(トウモロコシ粉で作るパップ)が主体となります。
オシフィマやパップの類は、肉や野菜のおかずを添えて手づかみで食べたり、また朝食などではミルクと砂糖をかけて食べたりします。北部民族は遊牧生活をしている者も多く、彼らはオマヘレ(酸っぱい発酵乳)をかけてオシフィマを食べます。
また、粉にしないマイス(とうもろこし)も主食です。ゆでとうもろこしにしていただきます。日本のスイートコーンと違って甘くないので主食に適しています。
もう一つの主食がチップスです。日本語でチップスというと薄切りじゃがいもを揚げたものを指しますが、英国や英領国家圏では、チップスは拍子木切りのフライドポテトのことです。ナミビアを支配した南アにおいて政治的実権を握ってきたのは英国人で、英国人が多数移住してきた背景から、南部アフリカにチップスが根付いたのだと思います。ソーセージアンドチップス(ソーセージとフライドポテト)やフレイスアンドチップス(ステーキとフライドポテト)などがあります。
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肉のおかず Meat
ナミビアは南アに似て狩猟やゲーム(趣味の狩猟)が盛んで、肉愛好家の国。人気はブラーイやカパーナ(バーベキュー)、ブラーイが南ア方面のアフリカーンス語由来でカパーナはローカル語。カパーナと呼ぶときのほうが新鮮肉にスパイスをふって焼く傾向が強いようですが重なっているのが実態。ともあれ肉を炙るのはホームパーティーやお祝い事にもつきもの、みんなが大好きな国民的バーベキューです。
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挑戦する? We dare you
ナミビアやジンバブエに行くと、巨大なマオンゴ(マウング、マグング)、すなわちイモムシが売られていてたじろぎます。英語ではこれをモパネワームと言います。これはとても人気の食材で、パンや缶詰がやっと買えるような小さな商店でもレジ脇でこのイモムシがどーんと売られていたり、路上でイモムシ売りのおばさんが座っていたりと、そのポピュラーさが伺えます。ナミビア在住日本人は「シシャモ味」と言っており、食べてみると確かにシシャモ度が80%はありました。油炒めや乾煎りで食べます。
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料理名一覧 Food & Drink Glossary
【主食と穀物名】
- オシフィマ(Oshifima):穀物の粉を湯で炊いたもの
- オシシマ(Oshithima):穀物の粉を湯で炊いたもの
- ソルガム(Sorghum):タカキビの一種
- チップス(Chips):フライドポテト
- ソーセージアンドチップス(Sausage and Chips):ソーセージとフライドポテト
- フレイスアンドチップス(Vleis and Chips):ステーキとフライドポテト
- パップ(Pap):穀物の粉を湯で炊いたもの
- ミーリーパップ(Mealie Pap):トウモロコシ粉で作るパップ
- ポリッジ(Porridge):穀物の粉を湯で炊いたもの
- マイス(Maize):トウモロコシまたはトウモロコシ粉
- マハング(Mahangu):トウジンビエ
- ミーリー(Mealie):トウモロコシ粉
- ミーリーパップ(Mealie Pap):トウモロコシ粉で作るパップ
【乳製品】
- オマヘレ(Omaere):牛乳または酸っぱい発酵乳
【その他食材】
- マオンゴ(Omaungu):大きなイモムシ
- マウング(Omaungu):大きなイモムシ
- マグング(Omagungu):大きなイモムシ
- モパネワーム(Mopane Worm):大きなイモムシ
【調理法】
- カパーナ(Kapana):バーベキュー
- ブラーイ(Braai):バーベキュー
