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- 主食の項を新設しました。
【基礎情報】
国名:カザフスタン共和国、Republic of Kazakhstan、首都:アスタナ、ISO3166-1国コード:KZ/KAZ、独立国(1991年ソ連解体)、公用語:カザフ語、ロシア語、通貨:テンゲ。
【地図】
カザフスタンは中央アジア平原の国です。北と西部をロシアと接し、東を中国と接し、南にはキルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンと接しています。
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◆カザフ人の遊牧文化、ロシアとシルクロードの接点。
中国からトルコ方面をつなぐシルクロードの道というのは1本の幹線道路などではなく、旧道や新道があれば、主要路も支流もある複雑な道。うち「天山北路」が通るカザフスタンは新道の側にあります。遊牧民文化の土台の上に交易で栄えてきたカザフスタンには、今も「シルクロードらしさ」を感じる料理がたくさんあります。しかし重要なこととして、カザフスタンはソ連の元構成国の中でロシア人比率が一番高い国であることを忘れてはなりません。帝政ロシア後期からソ連時代にかけて遊牧廃止政策(定住化)が行われ、現在遊牧生活をする人はとても少なくなったことは、中央アジア諸国の中でも食文化が随分と変容したと言わざるを得ません。
市場で自家製のクミス(馬乳酒)を売る女性。(撮影地アルマトイ)
中央アジア5か国(カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン)は、いずれもテュルク人の土地でした。テュルク人は今の中国に起源をもち、ユーラシア大陸を西へ西へと移動した民族です。程度の差はありますが、いずれも家畜とともに移動する遊牧民の文化、そしてそれに伴う肉や乳の食文化が基盤にあります。
中央アジア諸国はソ連の構成国で、いずれの国にもロシアの文化の流入が顕著に目立ちます。具体的にはロシア語、キリル文字(ロシア語と同じ文字)、制度や政策、それからロシアの食文化もおびただしく流入してきました。
カザフスタンの話をすると、20世紀の大半にわたるソ連時代は、テュルク系のカザフ人よりもロシア人のほうが多く住むという時代が続きました。本来遊牧の国であるのに遊牧廃止政策(定住化)が長きにわたって行われました。これは、例えて言えば、「地理的には日本なのに日本人が日本の伝統を捨てさせられ、外国の制度のもと、外国人が日本人よりも多く住むような国だった」ような感じです。これでは日本の古き良き文化が急速に失速する様子が想像できるでしょう。
だから、カザフスタン料理を語るにあたり、カザフスタンは、現在も、元ソ連構成国の中で最もロシア人比率が一番高い国(22%、2014)であることを忘れてはなりません。中央アジア諸国は、トルクメニスタンの主要民族はトルクメン人(85%)、タジキスタンならタジク人(80%)、ウズベキスタンならウズベク人(80%)等、「国名になる民族が大多数民族」という図式が成立しますが、カザフスタンにおけるカザフ人は65%とまだまだ少ないのが特徴で、カザフスタンの料理には、他の中央アジアの国よりも一層強い「ロシア色」が見られるのです。
カザフスタンに残る本来は夏に乳をとり、冬に肉を食す、すなわち「乳製品と肉の食文化」が主体です。国民食は、肉を長時間ゆでて旨い汁を作り平たい麺の上に汁ごと乗せる「ベシュパルマク」です。今も乾燥ヨーグルトのクルトもありますし、市場では馬乳酒やラクダ乳酒を売るおばさんにも出会えます。本来の遊牧民の文化とは随分様相が変わったとはいえ、今もカザフ人は肉好き&乳好きの本質を残しながらロシア文化と融合しています。
食文化はその国の歴史を今に映すものです。だから、カザフスタンに行かれるのであれば、カザフ人の遊牧民の文化、すなわち近隣国と共通するシルクロードの伝統料理と、長きの支配者層としてカザフを大いに変容させたロシア人の料理を二本柱として、そのどちらも見失わないように料理をいただくのが良いと思います。中央アジアで最も先進国であり、地域のGDPの60%近くを生み出しているのは、カザフ族の土着の文化では出来なかったことだから、ロシア人の文化をともに尊敬して、料理をいただいてみましょう。
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主食 Staple
主食はパン類です。円盤状のパンが一般的で、ロシア語でリピョーシカ、カザフ語でナンと呼びます。
麺打ちの文化があり、ラグマン(手延べうどんに肉野菜トマト炒めをかけたもの)や、ベシュパルマク(肉煮込みと一緒に食べる幅広麺)などとして食べられています。
米料理には、何よりもプロウ(プロフ又はポロエとも)という人参と羊肉の油炊き込みごはんがあります。ガンファンはごはんにラグマンの具を乗せたものです。「ガンファン」って日本語の「ご飯」に似ていて、素敵ですね。
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