【基礎情報】
国名:シンガポール、Singapore、首都:シンガポール、ISO3166-1国コード:SG/SGP、独立国(1965年マレーシアより)、公用語:英語・中国普通話・マレー語・タミル語、通貨:シンガポールドル。
【地図】
シンガポールはマレー半島の先端に位置する島です。マレー半島本土にはマレーシアやタイがあり、マレー半島の西やシンガポールの南にはインドネシアがあります。
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◆中国系民族が7割以上。熱帯食材の中国風料理はプラナカンの食文化
シンガポールは世界地図を広げたら点にしかならない極小の都市国家です。この数十年で発展途上国から一気に経済の発展を見せ、今や世界有数かつ東南アジアナンバーワンの先進国です。国民の構成に特徴があり、中国人が7割(仏教や儒教)、そしてインド人(ヒンズー教)やマレー人(イスラム教)。「シンガポール料理は中華やインドやマレーの集合体でしょ」と言われそうですがそんな単純じゃない。そこには、シンガポール独立よりもずっと前からマレー半島で培われてきた特有の文化である「プラナカン」の料理が大きな柱となっています。

ホーカーズでローカルフードを並べて仲間と食べるのが楽しい(撮影地シンガポール島)
シンガポールと料理の形成を理解するために、まずは「マレー半島」「英国」「マラヤ連合」「マラヤ連邦」「マレーシア連邦」とシンガポールの関わりを確認しましょう。
まずは地理から。
赤道直近で熱帯・熱帯・ド熱帯! 四季がないから冬も猛暑、マレー半島本土ならまだ高地があって避暑できますがシンガポールじゃどこに行っても暑い!インドネシアもそうなのだけど東南アジアの暑い地域は外食が普通で家であまり料理を作らない傾向がありますね。
次に歴史。
マレー半島とスマトラ島の間には細い海「マラッカ海峡」があります。マラッカ海峡は中世より海洋交易の要所で、中国南方(今の福建省などのあたり)から中国人が来て貿易で栄えました。彼らは「海峡華人」(ストレートチャイニーズ)と呼ばれ、本土規則で女性が同伴できなかったことや貿易禁止令が出て帰れない人が出たことから、華人男性が地元マレー人と結婚して定住・混血し、特にペナン・マラッカ・シンガポールが華人とマレーの混血人で栄える三大都市になります。なお華人が定着する頃マレー人はすでにイスラム化しています。
次にイギリスの話。
「大英帝国が世界に覇権を広げていった」ことの実態は、武力行使で各地を攻撃して傘下に収めることの連続です。18世紀末にはペナンやマラッカを獲得。当時オランダも東南アジアに来ていましたが英国は英蘭条約(1824年)でマレー半島の支配権を獲得。その代わりインドネシアが蘭領となり、インドネシアと歴史的に切り離されます。
名物カクテル「シンガポールスリング」で有名なラッフルズホテルの名前の元となったラッフルズ氏は英国東インド会社の役人で、1819年、つまり正式に英国領になる前からシンガポールを地主から強奪して事実上英国の支配下という既成事実を作ったすごい人。英国は英蘭条約の直後(1826年)に三大華人繁栄地(ペナン、マラッカ、シンガポール)をワンセットにして「海峡植民地」とします(その他のマレー地域は小国群がイギリスの保護国になっている状態です)。「海峡植民地」の人口構成は華人とマレー人及びその混血、労働者層のインド人、少数の英国人です。この人種構成は今も受け継がれています。
第二次世界大戦時後、英国は仕切り直してマレー半島の小国を束ねて「マラヤ連合」を作りますが(1946年)、英国の「戦略的にお気に入り」だったマラッカ・ペナン・シンガポールはここに含めません。次にマレー人優遇政策を強化するために「英領のマラヤ連邦」に形を変えたときに(1948年)マラッカ・ペナンはそこに組み込みましたが、「英国の超お気に入りの海軍基地」であるシンガポールは単独で置き続けました。マラヤ連邦が力をつけて英国から離れて「独立国のマラヤ連邦」が誕生したときも(1957年)シンガポールは英国が抱きかかえていて(自治州に昇格していた)マラヤはシンガポールを取り込めませんでした。
「独立国のマラヤ連邦」は経済や防衛力向上のためにサバとサラワク(マレー半島から東に離れたボルネオ島の2地域)と、とうとうシンガポールを取り込んで拡大して「初期形態のマレーシア連邦」が成立します(1963年)が、マレー人優遇政策の本土と中国人都市のシンガポールはうまくやっていけず1年11か月でシンガポール離脱。これで「今のマレーシア連邦」の完成です(1965年)。
なぜこのような話をきちんとしているかというと、めちゃくちゃ誤解されているんですよ、「シンガポールはマレーシアから分離したからマレーシアと元が同じでしょ」って。いやその解釈は危険ですよ。上のように、ちょっとめんどくさくても(1)マラヤ連合→(2)英領マラヤ連邦→(3)独立国のマラヤ連邦→(4)初期形態のマレーシア連邦→(5)今のマレーシア連邦という歴史を確認すると、シンガポールがマレーシアと同一国だったのは(4)の1年ちょっとしかないので、「シンガポールが長く一緒にやってきたのは(クアラルンプールを都とするマレーシア本体じゃなくて)海峡植民地としてのペナンとマラッカ」であり、もっと言えばペナンもマラッカも遠く離れているので「シンガポールは英国のお気に入りとして保護されながら中国人が力をつけて独自に発展してきた」と思うくらいがよいのです。
ちなみにシンガポール独立時、当時の首相のリークアンユーが優秀な帰国子女(英国ケンブリッジ大学の法律学で首席だったそうです)で、外資誘致・汚職排除・クリーンな都市計画を徹底して急速に高度な産業国家へ舵切りました。中国系及びマレー系住民が主体の国で自身も華人なのに公用語を英語にして国民を英語ネイティブ話者にしたことと、ニューヨークとの時差が丁度12時間というのが大きなメリットで、北米企業が続々とシンガポールにアジア支社を設立してくれるから大繁盛です。今のシンガポールは給与高&物価高で、シンガポールに「通勤」するマレーシア人や、マレーシアに「買い物」に行くシンガポール人も大勢います。マレーシアと人の行き来があることよりマレーとの食の混交は確実にあります。
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さてここまでシンガポールの地理と歴史を紹介しました。そこからシンガポールの食文化の要素が見出せます。
- 場所はマレー半島の先端。赤道直下で年中暑く、熱帯作物がよく採れ、発酵調味料や唐辛子が普及している。地元マレー料理には、ブラチャン(発酵エビ調味料)、唐辛子、ココナッツミルク、ハーブ(レモングラスや柑橘の葉など)など、南国食材がよく使われる
- 半島や島という立地から魚を好む食文化
- 極小国家が産業発展しているので農地が乏しい。ありとあらゆるものを、水でさえも諸外国から輸入している
- シンガポール人の主要なルーツは中国南部から来た華人男性(福建人・広東人・客家人が多い)と、地元のマレー人。通婚して異民族混合文化=「チャイニーズプラナカン文化」が出来、料理にも中華とマレーの混合が多くみられる。「地元育ちのおばあちゃんが地元食材を使って中国から来たおじいちゃんが喜ぶ中国故郷の料理をこしらえたような料理」がプラナカン料理である。例えばラクサはスープをココナッツミルクやレモングラスで仕立ててみかんを乗せたラーメンです
- 人口の7割以上が中国系で、中国料理は国内料理の最大要素である。箸を使う前提の中国系料理が多くて日本人は食べやすい
- 国民が日常的に流暢な英語を話す。中国語や広東語の読み書きが苦手なシンガポール人が今や普通。レストランのメニュー表には中国の漢字も書かれるもののチリクラブやチキンライスのように英語名の料理がかなり多く、日本人は理解しやすい
- 上の歴史のようにインド人は古くからシンガポールに来ていた。カレー各種やビリヤニやドーサ(発酵米粉を薄く焼くもの)などがある。フィッシュヘッドカレーはインド系住民が考案したシンガポール名物料理だ
- 外資誘致やハブで成功した東南アジアナンバーワンの先進国で、狭い土地におびただしい数の近代的なカフェやレストランが存在する。シンガポール人には世界のインターナショナルな食事がごく身近にある
- 土着マレーの習慣から外食が中心で家であまり料理を作らず外食する場所が多い。昔は路上販売や立ち食い処もあったそうだが今はクリーンな都市計画に基づき「屋外飲食店集合ゾーン」(ホーカーズ)が存在する
- 人件費が高いシンガポールは外食の飲食費が高い(同じ料理ならマレーシア側で食べるほうが安く上がる)
- 熱帯ゆえにトロピカルフルーツ天国!ロジャック(フルーツのタレ和えサラダ)も美味しいし、甘い物屋がたくさんありデザートの種類が多い
シンガポール料理を超一言で語るなら「熱帯食材の中国風料理」です。食材の種類が多いし料理を作る人の出自が多様だから美食が目白押し。でも普通シンガポールに行く旅行者は2泊3日とか長くて1週間でしょう? その短さではシンガポール名物料理を食べ続けても食べ終わらないのが難点ですね。
