アルバ料理

【新着】


【基礎情報】

国名:アルバAruba、首都:オラニエスタッド、ISO3166-1国コード:AW/ABW、非独立国(オランダ王国の構成国)、公用語:パピアメント語、オランダ語、通貨:アルバフロリン

▲目次に戻る


【地図】

アルバはカリブ海南部に位置する島です。南の海の先には南米大陸(ベネズエラ)があり、東隣の島はキュラソーです。

▲目次に戻る


◆一大観光立国が誇る、ヤギ料理とシーフードとアロエ

「こんなにベネズエラに近いのか」と、地図でアルバの位置を見ると驚きます。ベネズエラからたった29 kmですから(参考:佐渡島と本州は最短32 km)。雨が滅多に降らない乾燥した島国ですが、野生のヤギがいて、アロエ、ココヤシ、パパイヤなどが生育し、近海では美味しい魚やロブスターが豊富に生息しています。白砂の海岸が美しくて観光客に人気でリゾートホテルや高級レストランが乱立していて、食事メニューを見ると、アフリカのような、オランダのような、ポルトガルのような、ベネズエラやコロンビアのような、インドネシアで見たような、さらには中華もイタリアンもアメリカンもインドも和食もあって目白押しですが、伝統的なアルバ料理はヤギ料理とシーフードとアロエ製品です。

アルバ
ココヤシの木に登ってココナッツを採る男性(撮影地オラニエスタッド)

アルバの先住民はベネズエラ人(カキティオ族というベネズエラから渡ってきたインディアン)で、アルバはヨーロッパの白人が来るまではインディアンの島でした。

中世期、コロンブスの新大陸発見(1492年)で活気づいたスペインとポルトガルは直ちに「地球を2つの国で半分こする条約」を決めます。これがトルデシリャス条約(1494年、後のサラゴサ条約(1529年)も関与)です。世界中の人に了承も得ずに何を自分勝手しているかと思いますが、キリスト教の頂点であるローマ教皇の勅書発布によるので欧州内で他国の反感を抑える力は絶大。カリブ海はスペインの物になったので、スペイン人探検家が次々に乗り出し、アルバは1499年に発見されました。

「先住民がいて、白人に発見され、アフリカ黒人奴隷大量到達、欧州列強の植民地獲得戦争とプランテーション搾取で先住民は絶滅」というのはカリブ海諸国に概ね共通する悲惨な歴史ですが、アルバはちょっと違います。

宗主国(支配国)の違いは食文化に絶大な影響を与えますから、その理解のために「カリブ海の覇権の歴史」の全体像を知っておきましょう。
カリブ海を獲得したスペイン帝国は、先住民を奴隷にして鉱山で働かせるなどして支配していましたが、スペインにとってはマヤ・アステカ(現メキシコ、1519年にエルナンコルテスが到達)やインカ(現ペルー、1526年にピサロが到達)の植民地化のほうが遥かに重要で、カリブ海にはあまり手をかけられませんでした。さらにポトシ銀山(現ボリビア)が発見されて(1545年)スペインに富と繁栄がもたらされると、スペインに打撃を与えたいオランダ・イギリス・フランスが、条約を無視してカリブ海に入り込みます。スペインの銀輸送船を拿捕するために私掠船(しりょくせん=政府公認海賊船)を送り込み、カリブ海は戦場になりました。

ヨーロッパ史で必修の「八十年戦争」(1568~1648年)とは、スペインの圧政・重税・カトリック信仰の強制を受けていたオランダ(ネーデルラント。現在のオランダとベルギーにまたがる)の反乱で、要はそうなる前からオランダ側によるスペインへの反発は大きかった。八十年戦争中にはオランダ西インド会社(1621年)が出来て私掠船でスペイン船を拿捕しまくっていました。すごかったらしいですよ、特に1628年の拿捕では銀90トンをかっさらったとか(2026年の価値換算で推定額9兆円超!)。そうしてスペインは破産宣告し、戦争にも負け、オランダが独立。こうしてカリブ海は「スペイン以外のヨーロッパ各国」による植民地化が始まります。以下はメモ。

  • イギリス:バミューダ諸島(1612年)、イギリス領西インド諸島(1623年)、セントクリストファーとバルバドス(1627年)、その他ネービス、アンティグア、モンセラート、アンギラを獲得。ジャマイカも占領(1655年)
  • フランス:セントクリストファーをイギリスとフランスで分割して獲得(1625年)。グアドループとマルティニーク(1635年)、イスパニョーラ島の西側(現ハイチ)(1697年)
  • デンマーク:バージン諸島を支配(1672年)、後にアメリカに売却(1917年)
  • スウェーデン:サンバルテルミーとグアドループを獲得後にフランスに割譲(それぞれ1878年、1814年)
  • オランダ:アルバ、ボネール、キュラソー、シントマールテン、シントユースタティウス、サバ、トバゴ、アンギラ、プエルトリコ、南米大陸のスリナムを獲得(17世紀)

これらが少しずつ今の形になってきたわけです。

* * *

アルバの話に戻ります。

スペイン人が来る前、もともとアルバにあったのはインディアンの村と海。荒野にはサボテン、アロエ、野ヤギ。そして年中強い風が吹き雨は滅多に降らないという気候です。貧弱な土地なのでスペイン人は「役に立たない島」(Islas inutiles)と呼び、その「イヌティル」(役立たず)が後の政治形態「アンティル」の語源になりました(ひどい話ですが)。でも貧弱な土地のおかげでプランテーション(換金作物の大規模農園)やアフリカ黒人(プランテーションの労働奴隷)とはあまり関わらずにすみました。

ただ先住民の体格が良かったため、住民全員が現ドミニカ共和国のサントドミンゴ(銅山の拠点)に移住させられ、アルバはいったん無人島になり、銅の枯渇後に生存者はアルバに帰還。現在先住民の純血はいませんが、アルバ人とは先住民、ヨーロッパ人、黒人などの混血、一言で「クレオール」と呼ばれる人々で人口の7割以上を占めます。アルバには黒人奴隷があまり入ってこなかったので肌の色がキュラソー人と違うことが見て分かります。キュラソーは黒人奴隷交易地点として栄えたので黒い人が目立ちます。

上に出てきたオランダ西インド会社がアルバ・ボネール・キュラソー(略してABCと呼ぶ)をスペインから奪取したのはそれぞれ1636年、1636年、1634年、ほぼ同時期です。オランダは食糧補給目的でABCを農業植民地として開発。農耕不適のアルバではヤギの飼育が盛んになりアルバは「ヤギ島」(ヘイテネイラントGeiteneiland)とも呼ばれるようにもなり(これもなんかひどい話ですが)、今もアルバの筆頭名物料理はカルニストーバ(ヤギシチュー)です!

アルバ、ボネール、キュラソー、シントマールテン、シントユースタティウス、サバの6つは後に「キュラソーとその属国」という名称で行政上ひとくくりになりますが(1815年)、ベネズエラで油田が発見(1914年)されてからはアルバに原油積み替え港(1924年)や石油精製所(1928年)が出来て大繁栄。アルバの経済が強くなると行政名が示すような「キュラソーの下位扱い」が嫌になり、別の理由としては肌の色の違いもあり、アルバはキュラソーから離れたく独立志向が強くなっていきます。

では最後に「蘭領アンティル」(オランダ領アンティル)と現在について。

  • 上のオランダ領の6つの島をまとめた「キュラソーとその属国」という行政区分は第二次世界大戦の頃まで続いた
  • 1954年、国連の脱植民地化の要求から上の6つをオランダ支配下にできなくなり、別国として保持するならオランダと対等にせざるを得ず、オランダ、スリナム、蘭領アンティル(上の6か国)の三国連合の形で「オランダ王国」を作った。※ここでオランダとオランダ王国は違うものなので注意!
  • 1975年スリナム離脱(→独立国へ)。オランダ王国はオランダと蘭領アンティルになる
  • 1986年にアルバが10年後の独立を決意して蘭領アンティルを離脱。アルバが実質独立国(ステータスアパルテ)の地位を得て、蘭領アンティルは残り5か国になる。この時点よりアルバ政府は観光国化へ向けて開発投資しビーチに数々のリゾートホテルが出来て観光収入激増。経済が回って裕福になり、アルバの失業率は非常に低く、国民の暮らしが良くなる。
  • 1995年アルバの完全独立国化の構想は民意で白紙へ。理由は、小国の脆弱性、オランダやEUとの関係が絶たれる不安、石油収入が減ってきたこと、先に独立したスリナムが独裁政権や内戦で悲惨なこと。要はあれもこれもめんどくさくてオランダのお世話があるほうを望んだ。だが蘭領アンティルには戻らず、実質独立国の称号はキープ
  • 2010年蘭領アンティル(1986年時点の残り5か国)が解体。現在はオランダ王国という主権国家(sovereign state)においてアルバ・キュラソー・シントマールテン・オランダが対等な構成国(constituent countries)となり、ボネール・シントユースタティウス・サバはオランダの特別自治体(special municipalities)として自国とオランダの二重統治体制を敷いています

本当はね、アルバはめちゃくちゃ独立国になりたかったんですよ。一番独立志向が強かったのは事実なので。

今のアルバを一言で語ると「とにかく観光業でリッチな国」です。豪華クルーズ船や金持ちヨットがじゃんじゃん来るし飛行機で次々に欧米人裕福層がやってきて国にお金を落としてくれる。また高収入の仕事に惹かれて世界中から出稼ぎが大勢来るから、在住者の国籍は140以上とは言いますが、街を歩くと中国人や中国商店が異様に多く、もしくはリゾートホテルや高級レストランばっかり。でもアルバに行ってアルバ料理を食べるなら、何よりもローカルなヤギ料理とシーフードとアロエを推薦します。なぜここにこの料理があるのか、それは歴史を遡って思い出してみると分かる。それらは昔からアルバに在り続けてきた、真のアルバの食材だからです。
▲目次に戻る


執筆の問い合わせ

本記事、レシピ内容及び写真の著作権はすべて管理人:松本あづさ(プロフィールは≫こちら、連絡方法は≫こちら)にあります。読んでくれた方が実際に作って下されば嬉しいですし、料理の背景やTipsなど、世界の料理情報の共有を目的として、大事に作成しています。
出典URL付記リンクを貼れば小規模な範囲でOKなこと】
・ご自身のサイト、ブログ、FacebookやXなどのSNSにおける情報の小規模な引用や紹介。
事前連絡出典明記をお願いします】
・個人、団体、企業等の活動・サイト記事作成・出版等で料理レシピや写真を使用する場合は有料です(料金は≫こちら)。※無断使用が発覚した場合は料金3倍にて請求書を発行しますのでお支払い頂きます。
事後連絡下さい(楽しみにしています)】
・学校や大学の宿題や課題で当サイトを活用してくれた児童・生徒・学生さん。※教職員の使用は上に該当するため有料です。
禁止事項
・大々的なコピペや読み込み、出版物への無断転載。
・商用非商用または営利非営利を問わず、個人、団体、企業等の活動や出版等での無断使用。
※免責事項:上記の引用に基づいて万が一損失・損害がありましても、対応はユーザーご自身の責任において行っていただきますようお願いいたします。