北マケドニア料理

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【基礎情報】

国名:北マケドニアNorth Macedonia、首都:スコピエ、ISO3166-1国コード:MK/MKD、独立国(1991年ユーゴスラビア解体)、公用語:マケドニア語・アルバニア語、通貨:マケドニアディナール

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【地図】

北マケドニア(2019年までの国名はマケドニア)はバルカン半島の内陸国です。北はコソボとセルビアに、東はブルガリアに、南はギリシャに、西はアルバニアに接しています。

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◆似通らない2民族の国に、バルカン半島各地の内陸料理が集まる

北マケドニアの料理を思い出そうとしても、日本料理における寿司のような「これぞ北マケドニア!」と言える料理が出てきません。ブルガリア料理と同じ料理、元ユーゴスラビアのほかの国々と同じ料理、オスマントルコの時代を継承する料理があって、アルバニア料理やギリシャ料理との共通点も多数。このようにパレットの上で何色もの絵の具がマーブルに交ざり合うような食文化が、「北マケドニア料理」です。でもギリシャの海鮮料理とは違う、トルコのサバサンドもない。海のない北マケドニア国の料理は、「バルカン内陸の食文化」と呼ぶのが最もしっくりきます。

北マケドニア
オールドバザールの地元料理レストラン。料理がセルビアやブルガリアと同じ(撮影地スコピエ)

「マケドニア」とは時代によって定義が変わるからややこしいのですが、北マケドニア料理の理解のために、1)バルカン半島とは、2)地理的マケドニアとは、3)北マケドニアとは、4)マケドニア人とは、の4つの基礎知識を読んでみましょう。

1)バルカン半島とは
ギリシャを南端(A)とする大きな半島で、付け根は西がスロベニア(B)、東がルーマニア(C)。ただし距離BCがABやACより長いため地理学の定義上は半島にあたらず、むしろバルカン諸国(9か国、※)を政治や歴史的に語るときによく使われる用語です。

※バルカン諸国9か国:旧ユーゴスラビア7か国(セルビア、コソボ、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、北マケドニア)とアルバニア、ギリシャを指す。

2)地理的マケドニアとは
今の北マケドニア国に対し、便宜的に「地理的マケドニア地方」(Geographical Macedonia region)を「大きなマケドニア」と表現します。「大きなマケドニア」はテッサロニキ(現ギリシャ)を中心都市として古代から栄えた、アレキサンダー大王にもゆかりがある、今もギリシャ人が誇りとする地域です。

15世紀末にバルカン全体がオスマントルコ領となりました。やがてオスマントルコが弱体化し、最後はバルカン戦争(1912年)で地元連合の勝利によりオスマンが撤退。最後までオスマン領だった地域の西部に新興国アルバニアができ(1913年)、残りの部分は「大きなマケドニア」がメインで、ブカレスト条約(1913年)にてセルビア・ブルガリア・ギリシャの三国に分割されます。分割の結果、ギリシャは北に拡大し(エーゲマケドニア獲得)、ブルガリアは南部に拡大します(ピリンマケドニア獲得)。当時セルビアが獲得した部分には今の北マケドニアが含まれ、そこはバルダルマケドニアと呼ばれます。

3)北マケドニアとは
現在の北マケドニア国は「大きなマケドニア」が分割されてセルビアに組み込まれた部分が前身で、ユーゴスラビアの一員を経て今は独立国です。ただ、独立時(1991)の「マケドニア共和国」という国名はギリシャ人が誇る「大きなマケドニア」にも見えることからギリシャの反感を買い、ギリシャの経済制裁を受けたり、国連加盟やNATO加盟を阻止されたりと、マケドニアは随分ギリシャにいじめられたものです。2019年マケドニアは折れて北マケドニアへ国名変更し、ギリシャと和解しました。

4)マケドニア人とは
バルカン分割よりも随分前、まだ「大きなマケドニア」の頃、上述のテッサロニキに「マケドニア人という民族を作ってブルガリアと一緒に大きな国を作ろう」という改革組織(※)がありました。もともとはトラキア人やイリュリア人や、北方から南下してきたスラブ人などが住む地域でしたが、彼らは民族の別に関わらず「マケドニア人」となり、スラブ人の言葉が「マケドニア語」に選ばれました。

※内部マケドニア革命組織。1893年発足

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以上、北マケドニアの基礎について記載しました。「マケドニア」の定義は使う場面によってまちまちなので説明が長くなりましたが、大事なことを記載できたと思いますし、北マケドニア料理を知るなら「マケドニア」をちゃんと理解するのは絶対いいこと!

現在、北マケドニア国の西部にはアルバニア人居住地域が広がり、国内民族比はマケドニア人が65%、アルバニア人が24%(2021年)。マケドニア人はスラブ人で正教徒でマケドニア語話者、アルバニア人は非スラブ(イリュリア人)でイスラム教徒でアルバニア語話者という、似通らない2民族が2大民族です。マケドニア人にとってはセルビア人やブルガリア人のほうが人種も言語も宗教も同じで文化的に近縁なのですが、国境線通りに民族が分布しないのが東欧の難しさ。この似通らない2民族の不協和はマケドニア紛争勃発の原因でもあり、今も北マケドニアが抱える民族問題の難しさでもあります。ただし、マケドニア人というスラブの料理に、アルバニア人の料理や食文化が交ざることで、マケドニア料理が豊かさを増していることには異論の余地がありません。

北マケドニア料理は、マケドニア人とアルバニア人の食文化を基盤に、トルコの肉団子あり、ブルガリアの白チーズサラダあり、セルビアやハンガリーのパプリカパウダーシチューあり。ギリシャ北部料理の要素もたくさんあります。ちなみに北マケドニアのアルバニア人地域の名物料理が今や北マケドニアの国民食の地位を獲得! それがタフチェグラフチェ(白豆とパプリカパウダーソースのオーブン焼き)です。北マケドニアは内陸国なので海の魚はなく、主菜には肉が高確率で出てきます。この肉々しさも、北マケドニア料理が東欧/バルカンの内陸料理の食文化と思える主要因です。

なお温暖な地域なので野菜も果実も牧草もよく育ちます。そういう国なので、お肉料理や野菜料理やワインが美味しいですよ! 以下各論では食材別に北マケドニア料理を解説する予定です。
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